日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

腕試し

すっかり忘れていた頃に郵便受けに封書が届いていた。ああ、そういえば結果発表の時期だったな、と思いだした。前回は何の通知も来なかった。今回は茶色い封筒が来た。なんだろうと封を開けた。

国語は好きだったが作文は苦手だった。夏休みの宿題にはいつも作文があったので後回しにしていた。第二学期始業式が近づくころに慌てて書き出すのだから印象は悪くなるばかりだった。大学受験では数学・物理・化学がさっぱりわからずはやばやと文系私立に的を絞った。興味を持った大学の入試には小論文という科目があった。頭を悩ませた。塾には小論文講座がなかったのだろうか、これは通信教育で勉強を始めた。しかし提出した解答用紙に徹底的に朱筆が加えられて戻ってきたのを見て、これはダメだと思った。こんな文体は使いません、と書かれていた。一人称・口語体で書いたのがいけなかったのだろうか。

読書は好きだったが書く事は遠ざけてしまった。苦手意識があったのだろう。社会人になり山岳同好サークルに入り同人誌に寄稿する様になった。その頃からいつか自分は書く事が好きになっていた。感動した山の風景、いや感じた風の匂や胸のときめきを残したくなったのだった。Windows95を搭載したPCでHTMLソフトを使いホームページで登山の記録を残していたのだから、今思うと何かを表現し発表したかったのだろう。自分の心象風景を描く以上、その景色はきちんと文章に、時に下手なイラストに落とすのだった。その過程は嫌いではなかった。

今は専用ソフトを使っても扱いずらいHTMLを書く時代でもないだろう。安易なプラットホームが沢山出現した。手離れが良かった。気楽に書きたいことを書きSNSで不特定多数に向けて発信することが出来るようになった。書く事が楽になったのは良いが自分ながらこの数年自分が書いたものを見るとまさに粗製乱造の感がある。取るに足らないことを好きに書いているのだからそうなるのだった。

腕試しに、と○○賞といった文芸賞に書いたものを送ってきた。改まった気持ちで書くので少しは乱筆乱文が正されようと思ったのだろう。確かに指定の文字数の範囲内で何かを書くとは良いトレーニングになった。エッセイ風の物はブログで書いている。小説風にしてみたり、私小説をまねたりする。

届いた封筒はそんな応募の結果だった。もしや、と手が震えたが最初に目に飛び込んできたのは「残念ですが」の枕詞だった。しかし一次選考は通過し、最終選考で選に至らず、と書かれていた。前回は応募してもなしのつぶてだったので一次選考も通過しなかったのだろう。少しは進歩したのだろうか。

好きで書いているだけだった。負担にならないようにすればよい。これから衰えていくだろう我が身の「脳トレ」だと思っている。何時までも描きたい風景が心の中に浮かんで欲しい。腕試しはまた次回だろう。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村