日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

厄除け大師のお守り

今年は還暦だった。知っていたので新春に厄除けにいったのは栃木の佐野市だった。街のお大師様は関東三大厄除け大師と言われるらしい。ならば隣町の川崎大師でも良かったのだがわざわざ佐野市迄行ったのはサイクリングと佐野ラーメンを目的にしていたからだった。言ってみれば佐野厄除け大師は「ついで」だったかもしれない。

長閑な渡良瀬遊水地を自転車で走り、佐野でラーメンを食べ足利のワイナリーまで走るサイクリングだった。しかしついでにせよ佐野厄除け大師は流石に混んでいた。善男善女が厄無き一年を願い行列を作っていた。さすがにお札は辞めたがそこでお守りを買った。厄除け・身体安全。500円にしては欲張りだった。

鈴のついたお守りはスマホにつけてみた。スマホを失くすと痛い目にあう。ある意味情報の詰まった端末は財布よりも重いかもしれない。数年前に財布を落としてしまった自分としては悩んだが、財布はいつもチェーンでズボンに付けて外出する様にしていた。そこでスマホを守ろうとそこにつけた。常時自分と一緒にいる事になるが、いかんせん鈴はうるさかった。透明な音をいつも響かせるのだ。お陰様でスマホが行方不明になる頻度は減った。

関東三大厄除け大師で幸運を願ったにもかかわらず、今年は多くの不幸や嬉しくない出来事が身の回りで起きた。父は鬼籍に入り、犬はつい先日虹の橋を渡った。大切な人は高齢が進みあるいは病に罹患した。今の自分はそんな出来事を前にとてもまともな気持ちを維持できていない。お守りの効能は何処へ消えた?サイクリングとラーメンの「ついで」で訪れたのだからお大師様は怒ったのかもしれない。厄除けも身体安全も自分の事だった。自分勝手な我が身を諫めたのかもしれない。ならば信心を新たにし祈りなおして日常を維持しよう、と尻を叩いている。さもなくばしぼんでしまいそうだから。

スマホに付けていたお守りの紐が切れかかっていることに気が付いた。気づかずに切れてお守りを紛失してしまう事を僕は恐れた。少し考えて、自分で紐をえいっと引っ張った。プツンと音を立ててそれは切れた。無くなるくらいなら外そうと。もしかしたらこれで不運続きの日々の前に良い事が現れるかもしれない。そんな話を友にしたら「仲間みんなで今年は会えたじゃない。良い事なのよ」と言うのだった。その通りだろう。お守りも全知全能ではない。

切ってしまったお守りの紐は自分で修復してまたスマホに付けるのか。財布に入れるのか。「男はつらいよ」の寅さんの様に首からぶら下げるのか。考えあぐねている。不幸の紐はこれで切れた。不信心も改めた。これ以上の災難はないはずだ。楽しみだけが待っているはずだ。だから大切に扱う、そう決めた。

佐野厄除け大師のお守り。紫の紐は切れかかっていた。引っ張って切った。悪い出来事は、これでもう来ないだろうと。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村