日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

デジタル世代の子供達

サイクリングに向かう電車の中だった。途中駅からベビーカーと共に親子が乗り込んできた。ご両親は30歳代前半だろうか。ベビーカーには2歳位の男の子が座っていた。無心にスマホをいじっていた。

今どきそんな光景で驚くべきではないが、やはりびっくりした。ここまで来たか、という感があった。男の子がまたスマホを起用にいじっているのだった。自分達の頃はね、この時期は絵本を読んで聞かせて知育玩具で遊ばせていたよ、などとカビの生えたことを言うつもりはない。そもそも自分はほぼ妻に任せきりだった。そしてまたスマホ画面の高速明滅や電磁波が幼童に与える影響は?なども余計なお世話だろう。

スマホらしきものを最初に見たのはブラックベリーだった。2000年になりたての頃か。仕事相手のアメリカ人がでかい指で豆のようなキーボードにタッチしていた。頻繁にハングアップしていた。しかしこれでインターネットにつながるというから手のひらのラップトップPCか、と、驚愕した。それが今はスマホだった。厚さは1センチ未満だ。

今やスマホなしの生活はありえない。動画、SNS、メール、ナビ、登山のログ記録、カメラ、ビデオ、音楽プレイヤー。端末にかざすだけで財布にもなるのだから隔世の感があった。高分子レベルの素材、導電性パネル、高度集積回路、非接触IC、無線技術、二次電池技術…。進化し続ける多くの技術の結晶体であるが使用者はそんな複雑なことは考える必要もない。

子供の頃は誰もがそろばんを習っだろう。計算尺にも触れた。しかし電卓が現れた。「♪答えイッパツ、カシオミニ」というテレビコマーシャルには驚いた。母親もそれを買った。7000円だったと記憶する。LCDなど当然なく、か細いLEDが点滅していた。今は仕事でもない限りスマホがあれば電卓も不要になった。そのうち九九も消えていくかもしれない。

幼子にスマホだよ、そんな話を職場でしたら若い男性職員さんは三歳のうちの息子もやってます、と言われた。ユーチューブで好きな映像を見て、ゲームもやっているそうだ。

スマホを手に与えると子供は一番大人しくなる、手がかからないで済む、そんなことを言われた。夫婦共働きの中、ともにくたくたに疲れているなか子供が静かに遊んでくれていると確かに楽だろう。

子供の頃からこんなに進化したデジタル技術に慣れ、当然のようにネットに繋がっている。メタバースの中で時を過ごすことが当たり前だろう。それを有るものとして捉えているこれからの世代は、さらにどんな新しい生活や、風景を見せてくれるのだろう。いくらAIが進化しようと所詮はゼロイチの判定をするだけで無感情だ。しかしいつかはそれも克服されるだろう。人間が持つ感性と言う名のウェットさや思いやり、共感力などもデジタル世界が教えてくれる時代が来るのかも、いやもう来ているのかもしれない。

彼らが成長し、その子孫もまた新しい技術を作っていく。想像もつかない世界が自分たちを待っている事だろう。その時はもう自分達はこの世にはいないかもしれぬが自分の子孫たちがそれを「安全に」享受できるのならば、とても嬉しい。

一家に複数のデジタル機器。子供の有効活用もあるだろう。そしていつか全く新しい世界が待っているかもしれない。