日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

電波の魚網

PCや読みかけの本を手にして近所のハンバーガショップに時々出かける事がある。脂質が多いメニューが並ぶのでのであまり食べ物は摂らない。がコーヒー一杯で一、二時間座っても文句を言われない。混んでくるとさすがに長居は遠慮してしまう。それでも好きな音楽はヘッドフォンにあり、何事にも邪魔されないのでキーボードは快調に叩けるし本のページは進む。楽園かもしれない。

いつも不思議だった。カウンターで商品を注文するとプラスチックの札を渡される。お席にお持ちしますよ、と。二階のどこに座っても数分後にトレイを持ってきてくれる。とくに「29番のお客様ぁ」と探している風もない。何故だろう。

先日発注を終えたら、トレイを持った二人の従業員が壁のモニターを見ているのに気づいた。近づいてみてみた。なぁんだ、簡単な話だった。

「あ、あのプラスチックの札が発信してここに所在場所が出るんですね、おもしろいですねぇ」。
「そうなんですよ。動いていてもわかるんです。」と自分と同じ年ごろの女性従業員。並んでいた高校生アルバイト風の若い女子従業員は、この変なオジサンはなんだろう、とキョトンとしていた。

昔ならば電探(レーダー)で金属を探しただろう。しかしRFIDのお陰で今や非接触でカートンの中の商品の情報が読み取れる時代でもある。発信される電波を検知しその場所を特定するのは特に目新しい技術でもない。日本では聞かないが、諸外国では保釈された性犯罪者がGPS発信機を体に付けられていつも場所を監視されているという。そういえば我が家もまた、監視カメラを手に入れた。脳の病気になり回復した我が家の犬に留守中に何らかの事が起きたら。といつでもリモートで監視するために娘が送ってきた。冗談かよ、と思ったが実際にやってみると助かる。この技術の仕組みは自分には分からない。カメラはWIFIでネットに繋がり、クラウドにつながる。そのクラウドスマホで見に行くのだろうか。余りに複雑だ。しかしこれなら一人住まいのご老人宅にその子息がセットすることもできるだろう。プライベート空間での監視社会がこうして出来上がる。安心だが、嫌な話だ。便利さとうすら怖さは表裏をなすし、そこには道徳が必要に思える。

簡単な技術から、ネットを使った複雑な技まで。進化は想像を超える。どれにも共通しているのは、電波だろう。今や様々な機器が自発的に電波を発し、それは網の目の様に三次元に飛び交っているのだ。自分たちが生まれた時代は、電波と言えばテレビやラジオ。そして無線機だけだった。グラハム・ベルが発明した電話は電話線を流れる電気信号に過ぎなかった。今や何でもデータになって空を超高速に飛び交っている。

趣味として自分はアマチュア無線局を開局している。短波から極超短波迄、いくつもの周波数で電波信号を発振させ、それを100ワット近い暴力のような大出力で発信している。都市伝説だろうがアマチュア無線家には男の子が産まれない、などと言う話も聞いたことがある。高調波がY染色体に影響を与えるのか?確かに我が家は娘二人だった。また自分の脳腫瘍は1.2ギガヘルツという電子レンジのような極超短波をハンディトランシーバーで1ワットという出力で頭の近くで使っていたからか。体細胞がおかしくなっても仕方が無いのだ、そんな事を考えたこともある。

そんな自分が言うのもなんだが、電波の網の中で暮らすのは怖い。そこまで便利さは必要なのか。しかしスマートフォンもない生活にはもう戻れない。電波では何も起こらないだろう。いや何が起きても不思議でもない。せめて電波に色がついていれば障害物競走の様にそれを避けて生活する事は・・・出来ないだろう。飛び交う電波は魚網の様に複雑に絡まっているから。しかしそれは今や社会を支え、空気のような当たり前の存在だから。今更何かを心配しても、仕方ないだろう。

これがあれば「29番のお客様ぁ」と呼ばれる必要はないのだった。

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