日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

借り物と自分の物

世界最高峰のオーケストラがウィーン・フィルベルリン・フィルであることは周目の意見が一致するところだろう。カラヤンベームバーンスタインからアバド、オザワ。そしてムーティ、メータ、今ではラトル、ティーレマンときら星のような指揮者が並ぶ。彼らのお陰で輝いたのか、あるいはオケがすごいのでマエストロたちが集まったのかはわからない。多分相互作用だろう。

自分の所有する録音はウィーン・フィルが多い。蒼古というべきか伝統的と言うべきか、あの響きを求めるとそうなってしまった。ムジークフェラインザールで響く彼らの音はさように魅力的だ。

トップオーケストラの団員の楽器はやはり数億円もするような高価なのだろう、と思いきやウィーン・フィルに限ってはそれは個人の楽器ではなく楽団が所有していると言うのだから驚いた。ウィーン・フィルウィーン国立歌劇場の団員からなるオーケストラでもある。すると楽器は国の所有品になるのだろうか。そこはわからぬが国家なり団体が所有している。奏者が自宅に持ち帰り愛情を込めてメンテするようではなさそうだ。尤もそれがあの優雅な響きの秘訣かもしれないが。

楽器も長く使っていると段々と「所有者の色」に染まってくる。指使いの癖が楽器に刷り込まれる。すると両者の間には信頼関係と愛着が成立する。下手くそな自分でもそれを感じる。

ベース・ギターは重い。アッシュ材のものは4.5キロはあるだろう。自分のメイン楽器は軽いとされるアルダー材だがそれでも肩にずしりとくる。しかも大きいのでそこら中にぶつけやすい。そこでリハの際はスタジオで借りる。スタジオの楽器は概ね丁寧に整備されている。

が、あれれと思うこともある。それが標準的なセッティングなのだろう、弦が自分には高いのだ。技術力のなさに加え年々衰える指の力と動きを誤魔化すために自分は弦高を低くしている。ネックがわずかでも反るとビビリ音も出そうだ。当然運指の感じは異なりアタックもレスポンスも変わるので自分は余りレンタルをしたくはない。

ひと月ぶりのスタジオでの練習だった。前回の練習ではレンタルした。今回は自分の楽器とした。それはよく指に馴染んだ。しかし演奏は間違えだらけだった。課題曲のCDを流しながら練習するのと実際メンバーが揃って練習するのでは大違いだった。べースはバンドサウンドの基礎だが、間違えまくった。借り物の楽器の前回は酷かった。しかし楽器がレンタルだからとは言い訳が立たない。ウィーン・フィルも借り物の楽器なのだから。そして自分のものに変えても同じだった。

しっかりと原曲を聞き込み頭に叩き込み寝ていても勝手に指が動く世界までいかねばならぬ。何事も地道な訓練という事だろう。

弾き馴れた楽器と、演奏の出来栄えには残念ながら関係性は無いようだった。

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