日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ケーキのような化粧箱

こんなことで家族四人が顔を合わせるのも皮肉だった。顔を合わせた誰もが目に涙を浮かべていた。気落ちしないようにと娘はケーキの箱を持ってきた。苺のケーキが入っていた。その箱を見て妻は涙ぐんだ。ああ、我が家に来たときもこんな箱だったな、と。そこから四人は多くの思い出話をして、話の節々で笑いそして肩を震わせた。

彼を見つけたのは僕だった。とある店の中でひときわ元気だった。福岡生まれか。こんなところまでトラックで来たのだろか、怖かったろうに。さらに札を見て驚いた。僕と同じ誕生日だった。左右の手のひらをボウルのように広げるとその中に彼はふわりと納まった。とても暖かく命の匂いがした。これからは我が家が安住の地だよ、と話しかけた。当時住んでいたのは集合住宅だった。そこに住むことは無理と知っていた。ならば引っ越そう。集合住宅は売り払い新たに一軒家に住むのだ、そう決めた。道筋の目処が立ち、彼は家族の一員として迎い入れられた。新しい家の中を彼は縦横無尽に走り真新しい建具をかじった。乳歯の生え変わりの時期だった。

様々な思い出が四人の口から出てきた。笑い話が多かった。それは彼が自分たちをどれほど和ませてくれたのかの証だった。彼は空気を優しく楽しいものに変えてくれた。

干支は一巡した。兎が飛び跳ねるように長いようで短い十二年だった。娘たちにとってそれは敏感な青春時代だった。妻は子育ても終え自分のやり甲斐を地元の子育て支援センターで働くことで見出した。僕は会社の中で喘ぎ、メンタル障害、早期退職、がん闘病へと導かれた。そんな浪風の多い年月を四人それぞれに乗り越えられたのはいつも笑いがあったからだった。その輪の中心に彼はいた。

彼が我が家に来たのは十二年前だった。兎年生まれだった。僕と同じウサギ年で誕生日までが同じとは随分とご縁のある話だった。神様がいるのならお礼を言いたい。不思議な縁を授けてくれたと。

食欲のない数日が過ぎていた。脾臓の腫瘍がエコーで見つかった。そこからは早かった。

ある昼下がり彼は遠いところへ行ってしまった。妻と遅い昼食を摂っていた。静けさに気づくともう動いていなかった。苦しんだのは一晩だけだった。胃液は出尽くしおむつから糞尿がこぼれていた。

立つこともなく横たわったままの彼をシャンプーで丹念に洗った。糞尿は黄色い水となり下水に流れ、彼はこざっぱりとした。伸びる毛を毎月カットしてシャンプーするのは僕の楽しみだった。彼はそれがとても好きだった。洗い終えて拭こうとした時僕は彼が幾重にも重なっているように見えた。重なっては滲み、そして走馬灯のように回るのだった。彼はしかし動かない。それは溢れる涙だった。

かかりつけの動物病院で心音と瞳孔反射だけを念のために確認してもらった。良く頑張りましたね。苦しんだのは一晩だけとは最後まで良いワンちゃんでしたね。と言って下さった。大きめの青い化粧箱を頂いた。僕と妻はそこに彼を収めた。二人して冷たい躯に頬ずりをした。柔らかな毛はまるで生きているようだったが二人の涙でそれは濡れた。

我が家に来た時もケーキのような化粧箱だったが家を去る日もはやはり綺麗な化粧箱だった。箱の大きさのみが三倍近くなっていたのは子犬から成犬、老犬へと積み重ねた彼の年輪の証だった。

移動火葬車がやってきた。海の見える眺めの良い場所で彼は焼かれた。身は亡くとも沢山の思い出と感謝は僕たちの心に残り続ける。煙はゆっくりと上がっていく。彼の十二年と二十二日の日々は閉じられた。晴れていてほしかったが何故か霧雨のふる日だった。どうぞ泣かないで。悲しい涙が出ても雨とともに流してね。そう雨を呼んでくれたのだろう。彼からは多くの幸せを貰ってきたが、今日の雨は彼らしい最後の優しい施しのように思えた。

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村