日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

イヌフグリ

今思うとそれは生物の授業だったのか古文だったのか覚えていない。普通なら生物の授業だろうが古文の授業か?と思った訳は教わった植物の名前が古式ゆかしく趣のある日本語に感じられたからだった。ウチダ先生の授業だったような気がする。するとやはり生物の授業だ。それは先生が持ってきた写真だった。その植物の実の名前とその所以を教えてくれてクラス一同盛り上がった。たしかにウチダ先生は「えっちウチダ」と自ら名乗るほどのそちら系の話題にはオープンで、頻繁に脱線するという理科教師にはなさそうなキャクターだった。

ウチダ先生に教わった植物の名前をふと思い出したのは、我が家のシーズ犬・タロウと散歩中に公園で一匹のフレンチブルドッグに出会ったからだった。お互いの股間を臭いあう、そんなオス犬ならではの挨拶を交わすと二匹は別れた。しかし彼は名残惜しそうに踏ん張った体を捻じって何度も振り返っている。

その後ろ姿に惹かれた。マズルの短い短吻種。鼻ペチャ以外に共通することがシーズーもパグもフレンチブルドッグも、力を入れて短い四肢をつっぱるように台地を踏む事だ。後ろ足などО脚になる。シーズーはふさふさとした尻尾、パグにはひょろりと太い尻尾があるが、なぜかフレンチブルドッグは尻尾は短い。

フレンチブルドッグがそんな風に踏ん張っている姿は実に可愛かった。かたじしのお尻がムチムチしてコケティッシュでもある。そして目に入ったのが立派な「ふぐり」だった。О脚の真ん中に分銅のようにぶら下がっていてひどく存在感があった。ウチダ先生の声をここで思い出した。「この植物の実の名前はイヌフグリというんだ。ふぐりってね、きんたま。この実は犬のきんたま。形が似てるでしょ。」 そこで男子はおお笑い、女子はきっとはにかんだだろう。

ウチダ先生は生物教師だが同時に男子の性教育をも担当していた。女子の性教育はさすがにいくらざっくばらんな彼でも無理で保健婦さんだった。しかしこれは皆で受ける生物の授業だった。「こら男子!笑ってはダメだよ。これがないと「皆も知っての通り」動物も植物もすべてが途絶える。とても重要なんだよ。」

実はタロウ君にもふぐりが「在った」。可愛らしいものだった。しかし今はない。1歳を過ぎたころ獣医から成犬時での病のリスク説明を受け、去勢してもらったのだ。そのせいだろうか彼はおとなしい犬になった。が、彼の後ろ姿が画竜点睛を欠くのはあるべきものがないからだった。

僕もかなりウチダ先生系統の話が好きでオープンだったせいか、我が家の娘たちも何か影響を受けたのかもしれない。彼女たちが中学生の頃にタロウを追いかけながら歌っている唄には笑ってしまった。♪たけやぁ、竿だけぇ。という節を変え歌にしていた。♪たろう、竿だけぇ、と。しかしそれは愛情に満ちた揶揄だった。

ウチダ先生は性教育を明るくしようと思ったのかもしれない。すると彼は話として見事な起承転結の起をもってきたのだ、と思った。僕のやってきたことはもしかして正しかったのだろうか、となどとタロウの股間を見るといつも思うのだ。自分の世代の日本人としてはなかなかオープンにはできない話題だろうと思う。そういえば娘が小学生か中学生の頃、自分がどこかに隠しておいたヌード写真雑誌を何かの拍子に見つけられたことがある。とても情けない話だが、まあ笑って済ませた。それからも良好な関係だが、そちら系に関しては今はもう結婚した彼女たちが自分をどう思っているか、とても聞けない。

しかしタロウ君を見るといつも思う。「あなたのふぐり、とってゴメンな」と口にする。ウチダ先生の言う生命の源を断ってしまったのだから。それでこれまで健康なのよ、と妻は言う。先日痙攣したけど今は治ったでしょ、そのおかげ、と。

そんなタロウも高齢犬の仲間入りだ。健康であるように取ってもらったのだから、ずっと幸あるはずさ。と思うようにしている。「俺も取ったら長生きするかな」と言ったら妻に、実に馬鹿馬鹿しい、と言われてしまった。肝心の山野にあるだろうイヌフグリはまだ一度も見たことがない。

成程似ている。しかし取ってしまった。きっといいことあるさ、だから許してくれ。と話しかけている。
余談だがイヌフグリ命名者は朝ドラのモデル、植物学者牧野富太郎氏ということだ。命名センス抜群だ。

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