日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

素敵な日曜日 探していたモーツァルト

あ、こんなところにあったのか。ずっと探していて、もうあきらめて探していた事すら忘れていたのに。そんな事は無いだろうか。どうせ大したものを探してはいないのだがそうして見つけたものは宝物になる。大切に、今度は忘れないように、と分かりやすい所に保管する。

ずーっと探していたのだ。何処かで耳にした演奏だった。モーツァルト交響曲第39番だった。彼の三大交響曲と言われる39番、40番、41番。40番はクラシック音楽に興味が無い人でも必ず知っているだろう。最後の交響曲41番はジュピターの副題通り壮麗な宇宙のような音楽だ。これらに35番ハフナー、36番リンツ、38番プラハを加えた後期六大交響曲まで範囲を広げてもやはり自分が好きなのは39番だ。続いて38番、41番。そして36番も。いや含まれていない34番も加えたい。とここで順位をつける愚に気づいた。彼の作品はどれも素晴らしいし自分のつけた順位もその日の気分で入れ替わるのだから。

そんな中、副題もつかない交響曲第39番はゆったりとした序章、魅力的なメヌエット、そして心が弾み踊るような終楽章まで魅力に満ち溢れている。特に終楽章。やさしく何か柔らかいものをつつみこむように、しかし歯切れよく反復される16分音符の魅力的なフレーズを聞くとどうしても体が動いてしまう。作曲者モーツァルトのテンポ指定はアレグロ。つまり快速に、となる。聴いている人には踊ってほしい、きっと彼はそう思ったに違いない。自分が持っているCDもまさにそんな指示通りに、実に心地よい速度で喜びを歌いあげている。

しかし一風変わった39番を何処かで聴いた。そしてひどく気に入った。いつどこでそれを聞いたのか覚えていない。もしかしたら入院中にFMラジオででも聞いたのかもしれない。退院してから片っ端から手持ちの音源を探したがみつからなかった。

大好きな終楽章が全く違っていたのだ。それはアレグロではなくアンダンテに近いテンポでの演奏だ。快速なというスコアの指示に対してややゆっくり演奏しているのかは指揮者の意図によるものだが、それにより明らかになる点があった。見えない伏線、構成、調和のとれたアンサンブルの中で埋もれている楽器の音、それらが浮かび上がってきたのだ。いったん理解したものを分解して再び作り直す。そんな分解・再構築の過程を経て、もう一度どう組み立てるかを考える。この演奏はそれだ、と思ったのだった。まさに嬉しい発見だ。

とうとう見つけた。それはオットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団によるものだった。あの快速で流れる主題が優雅に丁寧に紡がれていく。その様に唸る。

「ああ、クレンペラーだったのか!!!」 ビックリマークが三つもつくのは自分はクレンペラーのレコードを聴いたことが無かったからだ。ひと時代前の指揮者と思って触れていなかったのだ。

手元に19世紀から20世紀にかけての指揮者を論じた文庫がある。「世界の指揮者」(吉田秀和・新潮社・昭和57年)だ。書棚用と枕元様に二冊ある。そこからクレンペラーについて論じられた頁を繰った。数多のレコードを聞き演奏会に接してきた吉田氏もクレンペラーの演奏会は1度だけ、ウィーンフィルと組んだベートーヴェンの第5「運命」だったという。その演奏はテンポが極度にゆったりとしていた、そのおかげで細部の細かいニュアンス付けが明快に浮かび上がった、とある。例のジャジャジャ・ジャーンがゆっくりなのだろうか?すると自分が39番の終楽章に感じたことと同じだろう。

検証に、と手持ちの3枚の音源の演奏時間を並べてみた。黄色にハイライトした部分が示すように、クレンペラーの第4楽章は他の指揮者より1.5倍は長い。一聴すればゆったりとしたテンポは直ぐにわかる。ただ、他では見られない主題の反復をクレンペラーはしているにせよ、最もよく聴くオトマール・スイトナーの録音で仮にクレンペラーのような反復をやったとしてもクレンペラー版は41秒程度ゆったりとしている。そもそもその反復は手持ちの3枚では行われていない。どちらがスコアに忠実なのかも分からない。丁寧に音を織り込んでいくこのテンポのお陰で魅力的なフレーズは更に優しいものになりゆったりと弾む。それが初めて見えた。

「理解・分解・再構築」は物事を自家薬籠中にするならば避けて通れぬ必要な思考プロセスでもある。どの指揮者も演奏する際にはそれを経るのだろう。たまたまクレンペラーの経過が自分の感性にはまったのだと思う。

前夜にクレンペラーの音源をネットで発見して、探しものを見つけた!と興奮で寝付けなかった。今朝も早起きして色々調べた。そして暑くなる前に40分程度近所をウォーキングした。もちろんこの39番を聞きながら。すると見慣れた街が新しい風景に見えたのだ。

シャワーを浴びながら思った。探し物が見つかり、何度も聴いた。それはやはりとても素晴らしいものだった。朝から体を動かし汗を流した。今日は日曜日、それもまだ朝9時前だ。やりたいことはやった。これからもっとやれる。全く素敵な日曜日の始まりだった。

手持ちの三枚と比べて見た。黄色のハイライトの通り、クレンペラー版は第四楽章が6分14秒と4分程度の他の録音に比べひときわゆっくりとしている。自分がよく聞くスイトナー版で仮にクレンペラーのように反復をやったなら追加で1分30秒、計05:33の演奏時間となり、クレンペラー版は41秒ゆっくりしている。自分のお気に入りはスイトナーとドレスデンによる1974年の録音だったが、さて、どうなるだろう。

39番はこの三枚しか持っていない。他にもあったはずだったがMP3としてPCに残っているのみ。ここにクレンペラー版のCDが加わる。