日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

素晴らしき朝

数日振りに心地よい朝を迎えた。パッと目が覚めた。まだウォーキングをしていないのは明け方の雨の余韻が残っているからだった。ここ数日夜は窓を閉めていた。開けると思いのほか空気が張り詰めているからだった。

毎日少しづつ秋が深くなってくる。そのうちヒタヒタと冬が来るだろう。冷たいものばかり飲んでいたが今朝は湯気の立つ珈琲が美味しかった。そんな季節になったようだ。頭が冴えてきた。今日はなにやら楽しい気がする。昨日の朝の疲労は何処に行ったのだろう。今日もいつもと変わらない。特別に午前中にインフルエンザの予防接種がある以外は、昼食づくり、夕方からの仕事。が今朝の明るい気分は、昨夜の温泉銭湯か、いや、気の持ちようだと思う。

気持ちの良い朝にはモーツァルトが似合う。彼の作品は天使の造形物だろう。明るくウキウキさせてくれる。しかし濁りのない寂しさが彼の音楽の根底にある。そこに惹かれている。モーツァルトの作品は膨大でもちろん知らないものも多い。レクイエムや戴冠式ミサ、大ミサ曲などの宗教曲、フィガロの結婚魔笛といったオペラ。器楽曲、室内楽、各種のセレナードやアイネクライネナハトムジークなどの管弦楽曲。そして協奏曲、交響曲と、きりがない。

宗教曲はもっぱら夕方や夜に聞く。ピアノ協奏曲は昼に向いている。朝に相応しいのは交響曲と思う。それも25番や40番と言った短調作品ではない。41番は別格として、34番、36番、38番、39番。これらの曲は対位法も明瞭で楽曲の構成美は堅牢だ。ワクワクさせる展開が一日の始まりを迎える気分に相応しいと思うのだ。

今朝は39番を聴いた。ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏を選んだ。第四楽章のゆっくりとした解釈に触れオットー・クレンペラーの録音をここの所聞いていたが、ワルターもとても新鮮だった。ワクワクさせるという意味で、愛聴しているベームやスィトナー、セルの録音にも負けていない。やはり音質は良いほうが好ましい。オーケストラはヨーロッパの物が良い。ゆずってアメリカでもビッグファイブどまりだ。そんな理由でワルターの録音をあまり聞いていないのだった。アメリカ亡命の前の録音は古い。亡命後のオーケストラはボストンでもクリーブランドでもフィラデルフィアでもなかった。・・・しかしそれは色眼鏡だった。実に堂々としている。古い録音の中に様々な楽器のニュアンスが明瞭だった。ナチスから逃れるためにアメリカに渡った。そんな彼は自由と安全が担保された新天地で自らの音楽を集大成したのだろう。悪いはずが無かった。僕は自らの迂闊さに気づいた。39番に続いて彼の38番を聞いた。第一楽章のフーガは自分を空に羽ばたかせてくれた。

さて今日はどんな日になるのだろう。素晴らしい音楽が良い一日を約束してくれたようだった。体の中から力が出てきた。いいぞ、と声をかけた。

モーツァルト交響曲はどれも素晴らしい。素敵な録音は自分の身も心も軽くしてくれる。