散歩に行く。いつも同じルートだと認知力が落ちるのでたまには違うところへと行く。とはいえ近所の住宅地などたかが知れているので車で少し走ってから馴染の薄い場所を歩く。すると新しい発見もある。
それは我が家の犬も同じこと。知らない土地は地面を頻繁に嗅ぎ回る。刺激が多いのだろう。犬にも認知症はあるが刺激を絶やさないことはそれの防止になると思う。
お互い認知症は嫌だよな、そう話しながら彼と散歩をしている。
彼には友人がいる。イヌの付き合いなど深くはないが互いに鼻を匂い性器を嗅ぐ。これが挨拶のようだ。こうして嗅ぎあう友は何匹だろう。仲良しは我が家と同様に二代目犬のコーギーだろう。その飼い主さんは初代コーギーが亡くなり半年後に子犬のコーギーを連れていた。我が家の初代シーズー犬・ゴン太はその初代コーギーとそして二代目とも仲良しだった。しかし彼はコーギーなら誰でもいい訳ではなかった。子犬の頃に他のコーギーに噛まれた。それ以来ゴン太は散歩でその犬に会うと唸った。覚えているのだった。我が家の二代目シーズー犬・福太郎はその新しい二代目コーギーとは仲が良い。飼い主同士も胸をなでおろす。他には二匹のパグ、二匹のトイプードル、一匹の雑種そしてフレンチブルドッグ。出会えば挨拶は欠かせない。
今日の福太郎。新しい散歩道で見知らぬイヌと出会い友だちになったようだ。熱心に嗅ぎあっていた。同じ鼻ペチャのフレンチブルドックと、体が何倍もあるレトリーバとお話をしていた。
なんの会話をしているのかと思う。福太郎はブリーダー施設にいてそこからの放棄犬として保護された犬だった。二か月で自分がつけた名前もようやく覚え、今では散歩では家内や自分を見上げてその後を歩いている。自分達が認識され家族と思われている証だろう。
「僕はブリーダーで散々種付けに励み、用無しで追い出されたんだよ。でも今はよくわからんオジサンとオバサンに優しくして貰っているのさ。ねぇこれっていい話なのかな?」 きっと彼はそう犬仲間に問うているのだと思う。すると彼らは言うのだろう。「よかったな、まぁまともそうな飼い主に見えるよ」と。
犬同士で会話が出来るのかは知らない。しかし何か意思疎通をしていると思うと楽しいし現実的に思える。何といっても彼らは飼い主の心の機微を見ぬきその上で彼らとしてやるべきことをやってくれるのだから、全く凄い存在だと思う。
福太郎は自分達の食事の際にはいつも食卓の椅子に下で丸くなっている。さて夜の散歩だよ。またお友達に会えるだろう。世間話の一つでもしておくれ。そう話しかけて彼と共に戸外に出る。向こうから光るLEDリングがやってきた。ああ。お友達だね。彼は短く胴震いをした。