日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

マシラの如く・福之記4

マシラの如く山を歩いた・・。そんな文章に接したのは高校生だったろうか。そう、当時熱中していた北杜夫氏の何かのエッセイだった。旧制松本高校(現・信州大学)に在学し北アルプスを彼が頻繁に登っていたのはそんな旧制高校時代の話だ。彼の登山趣味は蝶とコガネムシをはじめとする好きな昆虫採集が引き金だったようだが、徳本峠あたりのクラシックルートを歩きそれを描いた紀行文やエッセイなどは記憶に深い。常念岳あたりも登っていたはずだった。

マシラの如く?そもそもマシラとは何者か?いつもの広辞苑頼み。マシラと繰ると一言「猿」(サルの異称)とある。ならばわかる。スズメバチ、熊、猿、山の中で鉢合わせたくないのはどれか。どれも嫌だ。スズメバチは怖かった。じっとして徐々に後退するしか無い。熊には二度遭った。幸いにツキノワグマだ。距離もありこちらは大人しくしていたら去っていった。しかしこれも心臓はバクバクだった。猿はよく会う。とても怖い。不愉快そうな顔をして睨んでくる。しかも集団でいる。知恵もある。威嚇もする。更に彼らの身軽さは見上げたものだ。森の中を翔ぶが如くだった。当時の北杜夫はまさに敏捷身軽で氏が書いていたように「マシラの如く」山に登っていたのだろう。

さて我が家に来て一週間の犬。二匹目のシーズー犬になる。初代犬・ゴン太は大人しくかつ運動能力が低かった。若い頃はそれなりに動き回ったがシニアになってからは動かない犬となった。二代目犬・福太郎は目下敏捷だ。我が家は居間と台所で一間だが出来る限り台所には来てほしくない。そこでソファと金網柵で国境を作る。しかし福太郎は脱出を色々試す。その様は映画「大脱走」でスティーブ・マックイーンがスイス国境の鉄条網をバイクで飛び越えようとする、あの名シーンの如きだった。金属の柵を仕切りに置いても彼は何とか隙間を使ったり、挙句「寄り切って」押し倒したり、挙句ソファから飛び降りて自由な空間へ移動した。往年の名優よりも敏捷と言う訳だ。

スーパーやコンビニに出かける。車の中で大人しく待っていてもらう。しかし嗅覚なのか聴覚なのか自分達が車に近づくと彼はそれを察知して車の窓枠に、ダッシュボードに、そして後席のシートエンドに、車の中を飛び回り前足をかける。傍目にはまるでミーアキャットのように見える。いやマシラかもしれぬ。ああ、すまなかったなとドアを開けるとこちらに飛び込んでくる。やはり可愛らしいが、怪我をしないか不安になる。とにかく敏捷だった。

先住犬と同じ犬種だからと言って油断は禁物と知った。まさかシーズーがマシラとは知らなかったが世の中には知らぬことがゴロゴロしている。ゴン太と福太郎は別の犬だった。福太郎の為に、安全な居住空間をもう一度考える必要がありそうだった。犬にとっても飼い主にとっても、新しい環境は新しい思考へつながり、思考は行動を産む。ともに老化を防ぐためにも、良い話だと思う。

彼はダッシュボードに平気で前脚をかける。そのまま飼い主が車の周りを歩くと彼もその状態で回る。うむ、マシラの如き。と唸った。