日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

願かけ

願い事にすがりたい。こうなってほしい、こうあってほしい、そんな思いは誰もがあるだろう。多くの日本人は八百万が神様と言われるがやはり神社仏閣を前にすると誰が教えたわけでもないが柏手をうちを頭を下げる。クリスチャンはイエス様を仰ぎ十字を切りロザリオを握るのだろうか。

山梨県の七面山は日蓮宗の聖地だが山頂直下まで250mの標高差を残す場所にある敬慎院までは標高差1300mの辛い登りが続く。七面山は登山者には二百名山であるが信者には身延山奥の院でもある。こんな山中にどうして立てたのだろうと思う大きな寺院であり宿坊だった。実際自分達の登山の際に白装束の多くの信者が登りそして下っていた。彼らの誰もが皆、南無妙法蓮華経を唱えているのだった。下山してくる信者のある光景は心に残った。それは老婆の信者だがとても自力では歩けない。二人の信者が竿竹を横に握りそこに老婆は下がっていた。ぶら下がるに近い状態に思えた。さほどまでして登山して、お経を上げての下山だろう。彼女の顔には苦渋はなくただ晴れがましさがあるように見えた。信仰のエネルギーの凄まじさと満願成就の歓びをそこに見たと思った。

ランタンに願いを書いて空に飛ばす。そんな素敵な風景がある。天燈上げと呼ばれる。台湾の風景だった。ある動画で見てやってみたいと思った。願いを飛ばすのだ。夢があった。

二泊三日の短い台湾旅行を考えた。美味しい料理をたらふく食べて天燈を上げようと。台北の駅から快適な電車で各駅停車旅。北東に向かうこと約一時間。瑞芳駅で平溪線に乗り換える。山中を行くこの路線は単線のローカル線で電車ではなくディーゼルカーの三、四両編成だった。

沖縄の南になる。当然植生は日本と異なるのだが山には紅葉もあった。シダ類も熱帯雨林もは思ったよりも目につかなかった。

平渓線の十分(シーフン)駅がその場になる。駅は上下線が行き交うので懐かしいことにタブレットの受け渡しが行われていた。タブレットと言ってもアイパッドでもサーフェスでもない。鉄製の只の輪っかだ。単線の閉塞区間を走る列車が鉢合わせしないようにとこの輪っかを上下線で交換する。原始的な安全システムだがそれは通行手形のようなもので、かつての日本の多くのローカル線では日常的な風景だった。そんな光景も楽しみだったが、線路間際まで群がる人混みに圧倒されて写真に取りそこねてしまった。

その人混みは既に観光地だったが、いくつも上がる天燈に目を奪われた。誰もがそこに願いを書いて空に放っていた。思ったよりもそれは高く飛翔するのだった。線路自身が天燈上げの会場なのだからタイの青空市場を人混みを分けながら走るメークロンの鉄道風景と何ら変わらなかった。とても被写体映えする風景と言えた。

列車は1時間おきなのだ。しかし何かに急かされるように、僕たちは早足をした。駅に一番近いお店を選んだのはそこの空が広かったからだ。これより先に進むと左右の店舗や住居の軒先が線路に近づきすぎて天燈の飛翔を見極められないように思えた。

天燈は表面を加工した紙が天井まで四枚。肝心のエンジンはロウ紙かパラフィン紙だった。四面単色、二面づつ同色、四面色違いで値段が違う。僕たちは幸福の色、赤の四面を選んだん。店員さんはそれをハンガーに吊るす。墨と筆が渡されて四面に願いを書くと出来上がりだ。

それを線路の上に持ち出して広げる。下面のエンジンに火をつけるとたちまち天燈が広がる。どうぞ、と呼ばれるまで膨らます。その間に写真撮影をしてくれる。

手を離したらパァーッと跳び上がる。僕たちの願いは間違いなく天に届く。いくつもの願いが空を飛んでいた。それらは落ちる気配も見せずに上がり続ける。すぐに自分達の天燈はどれかわからなくなった。僕は間違いなく成層圏に届く、と思うのだった。

自分達は何をここに書いたのだろう。世界平和、一家安全。それもあろうが僕は同じことをひたすら違う言葉で怒りを込めて書きなぐった。病魔退散、無病息災、生涯大健康。健康満願大々成就と。妻にも書いてもらった。

願いは天まで届いただろうか。短い旅行も無事に終わり家の中には思い出話しと土産物で満ちていた。間違えなく願掛けは成功したのだった。誰がどう言おうと大成功だったのだ。

四面に願いを書く。エンジンに転嫁して上昇気流を待つ。手を離すと飛んで行った。僕たちの願いは天に間違えなく届くと思う。

高く上がる。幾つもの願いが叶うために消えていく

天燈上げの場所は十分駅から数十メートル北側の線路の中だった。左右に天燈上げ店や土産物や飲食店が所せましとならぶ。列車はゆっくり人混みを避けて走る。スローで良い風景だった。

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