日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

手を抜かぬこと、出さぬこと

年末年始は決まりごとが多い。師走の半ばから年賀状を出さねばならぬ。大晦日が近づくとお節料理の準備やお年賀などを買うだろう。元旦は初詣、子供たちの帰省、年賀状チェック・・。もともとそんな決まり事を「古い価値観」と考え敢えて軽視していた。が加齢とともにその傾向が強まった様だ。おせち等用意しなくてもいいだろう。お重に空きがあるなら適当に物を入れればよいだろう、そもそもお重に入れなくてもいいだろう、胃の中に入れば同じだから。と言う。妻は妻で言う。「おせちを皿に並べる?お重です。スカスカなおせちは変でしょ、普通じゃないでしょ」と対抗の矢を飛ばし年末年始は険悪になる。元旦。昼前には年賀状が届く。昨年は父親が逝去したので喪中だ。まぁ多分年賀状は来ないだろうし、喪中はがきもいらないな。そう思っていたら、幾枚のご挨拶状を頂いた。ありがたい話だった。が、同時に、ああ、あらかじめ喪中はがきを出すべきだったと後悔した。大晦日の日にお重を見せてもらったら確かに隙間だらけだった。自分がそんなもの適当でいいよと主張したせいだった。自分達だけなら良いが、三が日には娘たちもそれぞれ家族とともに帰省してくる。妻としては「普通に」見栄えの良いお重を作りたかったのだろう。冷静になれば自分が暴論を吐いているだけだった。結局大晦日にスーパーに買い物に出て買い足した。そんな事ならもっと前からやればよかった。

娘たちの帰省日に宅配ピザでも取ろうか、と話した。妻はさっそくスマホを手にして、いくつかの宅配ピザ屋のサイトを見始めた。総て半額、いや二枚目が無料になる、クーポンでさらに10%安くなる・・・複雑だ。ようやくメニューを決めてネットで発注するとなかなかうまくいかないようだった。次のページに進めない、いちいち会員になるの?クーポンコードが入らない、と彼女はいらついていた。ネットで注文から支払いまですべてを行うのが当たり前の時代だがだんだんとその過程が複雑になってきたように思える。そもそもメニューもすぐに欲しい画面が出てこない。ああ印刷されて折りたためられたメニューが欲しい。手に取って開いて、コレとコレで。とだけ言いたい。結局妻の注文は進まないので業を煮やしてピザ屋に直接電話した。30秒で全てが事足りた。やった、と胸のすく思いだった。滅多に行かないファミレスや居酒屋だが注文用のタブレットが机上にあるとがっかりする。こちらは喉が渇いている。まずは生四つ、と言えば済む話なのだ。

ここ最近思う。自分達、少なくとも自分は、手を抜かぬこと、そして手を出さぬこと。と。古くからの価値観は変わらない。やるべきことも逃げていかない。すると手を抜かずにきちんと準備するしかない。結局慌ててやるだけの話になる。そして、デジタル沼は深く、はまったら抜け出すのが難しい事。だからデジタルデバイスには可能な限り手を出さない事。電話、ダイレクトな会話というツールこそが最強だと。IOTは誰の為?と言いたくなる。

今の一年、いやこれからを快適に生きるためには、手を抜かぬこと、手を出さぬことを念じるべきだ。そんな事を一年の計である日に思うのだった。

昭和40年代、京浜工業地帯を望む高台のこの神社の周りはわずかな家と畑だった。今でも当時の遊び場に、元旦のみに来るのも決まり事だろう。

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