日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

高度一万メートルの友

旅行用のキャリーバックを手にしたのは久しぶりだった。かつては月に数度もゴロゴロとこれを玄関から転がしていた。機中泊を入れたとて五泊程度だろうか。これとビジネスバッグだけで出張していた。メンタルを病み閑職に移り海外出張は無くなった。もう不要だなとそれは長く箪笥の上に放置されていた。久々に下ろしたら埃がついていた。久しぶりに転がして空港に来た。そのバッグをオーバーヘッドビンによいしょと持ち上げた。

12年共に過ごしてきた愛犬が天国へ行ってから数ヶ月経っていた。これまで彼は我が家にとても数えられないほど多くの事を与えてくれたのだが、唯一なにか不都合があったとしたら気ままには旅行に行けなかった事だろう。もちろんペット同伴可の宿にも多く泊まったが行き先にはやはり制約もあった。

彼が居なくなりふと旅行に行きたいと思ったのだった。台湾だった。アジアの国々の中でここには仕事で行く事も無かった。親日的で懐かしい日本らしい風景があると聞いていた。そして手元には旅行券があった。三年早く退職しても通常通り退職旅行券を会社から貰えた。どうせなら使おう、そんな事で妻と決めた旅行だった。犬も行ってきなよと応援してくれているように思えた。・・・台北のホテルに投宿してキャリーバッグを開いた。いくつかのチャックがある。その一つ、裏面のジッパーを開いて、あっ、と思った。そこにはずっと探していた三冊の文庫本があったのだ。

それは退職後すぐに罹患したガンの病棟で手にしていた本だった。妻に頼み家から持ってきてもらったのだった。

- 日本百名山 (深田久弥著)
- てっぺんで月を見る (沢野ひとし著)
- 新約聖書を知っていますか (阿刀田高著)

前二作は山の随想と言える。山に対する憧れと多くの夢を教えてくれた。これを病床で読むと山に対する想いが膨らみ、立ち直りたいと思った。最後の本は毛色が違う。入院中に聖書に触れたくなりネットで注文した。クリスチャンではないがそこにすがるものはないだろうか、と思ったのだ。言ってみれば三冊は病床での友人だった。

退院が決まり身の回りを片付けた。帰宅しても何故かこれらの本が無かったのだった。何度も探したが見つからなかった。何処かになくしたのだとガッカリした。自分は変な癖があり好きな本はたいてい二冊持っている。本棚収納用。それに普段手にして寝床や出先に持ち運ぶためのもの。今回はその普段使いの二冊と新規の一冊を全て無くした。仕方なくまた三冊ともに買ったのだった。

てっきりなくしたと思っていた三冊の本。あったではないか。何故ここに入っていたのだろう。思い出した。入院生活の途中に妻が着替えや紙オムツを持ってきてくれたが、その時にこのバッグが使われた。そして退院時には使ったオムツの分だけ減った荷物で帰宅したのだった。そこに無意識に自分は本をしまったに違いない。帰宅してなぜ見つけられなかったのだろう。洗濯物や生活用品は取り出したのに。脳外科手術に抗癌剤放射線。脳の機能は限りなく低下して頭の中には混濁も残っていたのだろう。

三冊の本を手にして病院での日々を思い出した。あれほど陰影に満ちて克明だったのにすっかり今では平坦に思える。しかし光景は湧き水のように記憶から染み出してきた。本を手にして憧れを高め、何かに救いを求めた。そんな毎日だった。このキャリーバッグは出張ばかりでなく病院生活にもお供していたのだった。今回久しぶりに手にし使われていないジッパーを開けると忘れていた時間が開いた。

日々低下すると実感する短期記憶力を前に自分は高齢という言葉を意識する。しかし退院時の脳の混りはもうないだろう。それでよいではないか。再発注した本は余分にはなったが彼らは大切な友人だ。復路の飛行機の中で自分はその一冊を手にした。世話になったな、もう僕は旅に出るまで回復したよ、と話しかけた。

高度一万メートルで昔日の友に話しかけているとは全く信じられない話だった。

無くしたと思っていた友。雲隠れしていただけだった。高度一万メートルでの再会は嬉しかった。

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