日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

性に合わぬこと

「三万すった」、そう友はタバコを手に諦め顔で戻ってきた。軍艦マーチが店外に流れだしていた。僕はその向かいのハンバーガー店で時間をつぶしていたのだろうか。彼に一度だけ付き合って店の中に入ったことがある。千円札を自販機に入れると手にした皿に数センチの銀玉が出てきた。ジャラジャラとそれを機械のトレイに流し入れた。手のひらでグリップを握りを右に回すと球が弾けだされてきた。ピンやチューリップの羽にあたりながらそれは下まで落ちて吸い込まれた。勇壮な音に反して玉は数十秒で無くなった。俺には無理だな、と思い店外に出た。

父親が世を去り半年以上経過した。様々な手続きがあった。父には僅かながらの残したものがあった。微額でも相続人に該当する家族親族と話し合い遺産分割協議書を作った。現金通帳と多くない株があった。嫌になるほどの書類を集めて手続きをした。

協議書通りに分割された。そこに現金は無かった。それは今後の安心の為に母に総てが行くようにしたのだ。自分の手元には僅かな株が来た。会社員時代、管理職になると自社株を買うようにと無言の圧を受ける。株主として経営に参画せよ、ということか。仕方なく毎月少額で持株会に入った。希望退職に応じ定年三年前に退職して持株会も退会となった。掛け金の累計よりそれは上まっていた。株価が上がっていたのは会社が世間的には評価されていたという事だろう。希望退職というリストラ策が評価されたのなら皮肉でもあった。

手にした自社株をどうしようとも自由だが自分はすぐには売らなかった。インサイダーに引っかかるのは嫌だった。自分の居た部門は無縁だと退職時には確認を得ていたが、単に小心者なのだろう。一年後に待っていたかのようにそれを手放した。その間はいつも株価が気になった。金額などたかが知れているのに株価の折れ線が気になった。ああ、昨日売ればよかった、などと思うのだった。株を手放したときにようやくホッとした。

今回の株も同じだった。証券会社のレポートによると父には数銘柄の株があったがいずれも負けていた。資産価値が三分の二程度になったものもあった。その会社が民営化されたのはバブルの時代で父は手を尽くして株を買ったのだろう。バブルも弾けて株価は下がった。リーマンショックもあった。父と彼の株について話したことは無かった。一回だけ、彼は言っていた。失敗したなぁと。

ネットのポータルサイトに「老後の生活資金シュミレーション」についての記事が多く出るのはそれだけ自分がその手のコラムを読むからだろう。57歳で会社を辞める時に平均年齢まで生きた場合のキャッシュフロウの試算をした。当時は見えずに今は見えてきたことがある。それは自分と家内、それぞれの介護費用だ。全く想定外の伏兵だった。人それぞれに体は衰える。介護保険制度で使える点数を目いっぱい使い日々を過ごしているのは母だが、父は世を去るまでの三年間は老人ホームだった。それらが貰える年金の枠内に収まるのかも不安だ。

僅かな株でも良い条件で売れれば幾ばくかの心の余裕にもなるだろうが、そもそも日々株価を見て一喜一憂するという事はストレスだった。ああ売り損ねた、と寝る前に思う事もあった。いつか又ブラック・マンデーが来るのではと怖かった。目覚めてすぐに「成り行き」で売却のボタンをクリックした。損なのか得なのかわからない。ただ心は晴れ晴れとした。

パチンコで三万円を十分間で失った友は何かを得たのだろう。故郷の金融機関に入行し今では理事をやっている。さすがにもうパチンコには手を出していまい。手を出さぬばかりか人様の資産運用の相談役だ。ギャンブルで大負けした大リーガースタッフの話題で世間は持ちきりだ。依存症だったのだろう。自分には怖くてできない。株もしっかり勉強すればよいのだろうがそれでもギャンブルと大差なく思える。運用に熱中するばかり会社のトイレに籠りきりでスマホ片手に売買ばかりしている人もいると聞く。生産性は落ちるだろう。何よりも心の健康によくない。

インフレの中現金の価値が日に日に下がるのをただ見ているのは嫌だが、結局手に余るもの、性に合わない事には手を出さないのが良い、と株を売却して思うのだった。本当にせいせいした。もう二度と縁を持ちたくない。

要らないものを処分して、心は明るくなった。性にあう事あわぬ事。それくらいは選びたい。