日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

終わりと始まり

暖かくなったのか寒いままなのか、よくわからないまま数週間が過ぎている。日中の陽射しは陽だまりを作るがそれはすぐに北風に蹴散らされてしまう。ただ、確実に春が近づく風景は、確かに在る。梅の花はもう散ってしまい樹は肌寒そうに思える。桜の蕾は少しづつ膨らんでくる。足元にフキノトウをみつけ天婦羅にしたのは数週間前だった。摘み残した花は大きくなり食べられそうになかった。かわりに蕗の茎をもいで、油揚げと共に煮物にした。苦みに満ちた食卓は春だった。

雨の降る一日があった。その中で雨に滲む目に鮮やかな色合いが在った。女子学生の袴姿だった。ビニル傘をさして歩きづらそうに歩いている。そんな時期なのか、と思った。三年前のこの季節、自分はガン病棟に居た。梅の花もそれに続いたソメイヨシノも七階の病室の窓ガラスから見るだけだった。気づけば咲いていつか散っていた。そんな日に娘は大学を卒業した。長女が大学を卒業した日は背広を着てキャンバスまで行った。次女の卒業式には参加できなかった。スマホの写真だけを見て、ああ、時が過ぎていくな、と思うのだった。

春は365日のごく一部に過ぎない。それは止まる事もなく流れていく。しかし特別な感情が湧くのは何故だろう。寒かった冬から抜け出したからなのか、いや、単に多くの儀式が四月にあるからなのだろうか。卒業式、入学式、入社式。いかにもそれは物事の終わりと初めの節目だった。

この月末で自分は仕事を辞める事にした。35年間務めたメーカーを三年残して早期退職した。すぐに人材派遣会社にキャリア・カウンセラーとして入社したが研修期間中にガンに罹患した。半年を超える治療では自己都合退職の選択肢しかなかった。脳腫瘍を摘出した瘢痕は今も痺れている。ガン病棟で過ごした時間は感受性をいたずらに尖らせてくれた。それは今も根付いてしまった。

35年間のメーカーでの会社員生活は海外駐在も含め多くの経験を与えてくれた。しかし管理職になりメンタルを病んでからは何処かが違う、と思い始めていた。自分の会社の製品で人々は幸せになるのだろうか、と。早期退職には次のあては無かったが、どこかで思っていた。国際交流の役に立ちたいと思ったのは日本人と外国人はもっと相互理解をすべきだと思ったからだった。海外生活を通じ日本人のもどかしさを感じ、一方で日本と日本人の魅力も見えていた。分かり合うべきだった。また人や地元社会に貢献したいという想いもあった。「ありがとう」と思われる仕事がしたかった。国際交流・社会貢献、それが再就職のキーワードだった。人材派遣会社の仕事は後者だったがそれは実務に入る前に終わってしまった。

パートで働いていた今の仕事は地元の方々のためのコミュニティ施設で二つ目のキーワードを満たす職場だった。そこは高齢者向け施設や地元の方の集いの場でもあった。多くの事を学んだ。わずか二年の間に幾人もの知った顔が世を去られていった。高齢者が集う場所なのだから当たり前だった。そして若い世代も多様だった。発育に問題があるお子様を抱えて時を過ごしている方々もいらした。彼らはその現状を認め、消化し、受容し、生きる道へと昇華させていた。そんな方々を多くの職員や地元のボランディアが支えている。知るよしもなかった世界だった。

あとわずかで弥生は終わる。卯月とはいかにも春らしい。そんな季節に自分も仕事を辞める。還暦も越えた。五十七歳で会社を早期退職して良かったと思う。死と向き合う病に罹患してありがたかったと思う。あのまま会社で滞りなく働いていたら今の自分ではなく凡庸な初老になっていただろう。今この時、確実に自分の感性は痛いほど尖り、頭の中の世界は想像もできなかった程に広がり、新しい視野が目の前にある。ただそれに触れる喜びを表現する術を自分は持たない。歯がゆい思いがある。

少しづつ寒さを失っていく日々を前にして思う。そう、卒業だ。これからは新しい春となる。術が欲しい。梅や桜、多くの樹木に包まれた生活に憧れる。フキを摘んで食べたい。風の匂を知り季節の移ろいの中に身を置きたい。どう過ごそうと自由だ。波乱万丈を楽しむ事は可能だろう。春は終わりの季節でもあるが旅立ちの季節でもある。確かに何かが終わり、何かが始まる。さあ何が待っているのだろう。

春になれば地面から顔を出す。天婦羅にすると苦い香りが季節の移ろいを教えてくれる。その苦みは物事の終わりでもあり、始まりでもある。終焉の寂しさも、新たな芽生えの期待も、どちらも魅力にあふれている。

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