日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

世界平和の平均律

ダニエル・バレンボイムの録音に初めて触れたのは指揮者としてではなくピアニストとしてだった。ただそれが何だったかはあまり覚えていない。ベートヴェンのピアノソナタだっただろうか。当時のLPレコードは手放してしまったし、あの頃はバックハウスやケンプなどのいわゆる大巨匠の演奏が好きだった。バレンボイムはリアルタイムだったが世代が少し新しく長老好きな自分の中ではなかなかお鉢が回らなかったのだろう。彼はその後シカゴ交響楽団の常任指揮者を長く務め、ベルリン・フィルからは名誉指揮者を称号されている。が自分にとっては指揮者の立ち位置としても同様で、自分が引き寄せられたのは2009年、彼が初登場したウィーン・フィルニューイヤーコンサートの映像なのだから実に遠回りをしてしまった。

アルゼンチンの生まれであるが今の国籍はイスラエルユダヤ人迫害からアルゼンチンに逃れた人は多いと言うが彼の祖先もそうだったようだ。安息の地からイスラエルに先祖帰りしたことになるだろう。彼がイスラエルとアラブの若い音楽家たちを集めオーケストラを組織し、パレスチナやニューヨークで演奏会を行ったと言う話に触れた時、また、ベルリン国立歌劇場を率いエルサレムに赴きワグナーの楽曲を演奏したと知った時、驚いた。ユダヤとアラブは水と油。それでオーケストラ?。ヒトラーが愛好した事もありワグナーは彼の没後にナチズムの象徴だった。反発覚悟で禁忌を演奏する。イスラエルとドイツの文化的橋渡しをしようとしたのだろう。それは指揮者と言う立ち位置だけではなく平和に向けて前向きなエネルギーを放射し実践する心構えなのだな、と思った。なかなか出来る事ではない。また、今日と同様に当時もまた混迷を極めていた中東情勢を前にした2009年のコンサートでの新年挨拶も彼らしい。全世界に放映される番組で世界平和に加え中東の平和を壇上から世界中に訴えたと記憶する。

「音楽の旧約聖書」と呼ばれるバッハの「平均律クラビィア曲集」。プレリュードとフーガのセットで上下巻で48曲。レコードやCDでは96のトラックとなる。音楽の礎でもあり、量的にも膨大な世界はそう呼ばれるにふさわしいと思う。すべてが簡潔な対位法だが、透明である分旋律が立体的に頭の中で広がり頭の中には宇宙空間が広がるのだから全く不思議な楽曲だ。

バレンボイムが2003年に録音した版がCD五枚組で出ているのに気づいた。彼が61歳の時の録音だった。上巻・下巻ともにCDは二枚組で計四枚がありがちなのだが五枚とはどんな解釈だろうかと気になった。

ピアノではグルダ、グールド、リヒテルをずっと聞いてきた。定評あるシフ、ニコラーエワの録音に触れたのは最近だった。いずれも甲乙つけがたい。中でもグルダリヒテルが異色だろうか。グルダは極力ピアノらしさを排し乾いた音色で、簡素さを求めているように感じた。バッハ当時の楽器、チェンバロを意識したのだろうか。リヒテルは正反対で惜しみなく豊かな残響が印象的だった。現代ピアノの特性を前面に出しているように思えた。何人かの異なる演奏家の録音を聴く事は新しい発見がある。

オルガンとチェンバロ平均律も魅力ある。それらを入れると自分に取り八枚目になる平均律。届いたパッケージを開きCDトレイに入れた。豊かな音色で、テンポやアーティキュレイーションもまた新しい世界だった。

さてバレンボイムが録音した旧約聖書はこれからじっくりと聞く事になる。自分は豊かな音に満たされるだろう。音楽がいつもうそうであるように、それは自分に平穏を与え興奮を導き出し、新しい幸せに昇華され自分を包み込む。平和を訴える名ピアニストであり大指揮者。そのマエストロは今は八十歳を超えている。そんな彼の、思惑通りになるだろう。

CD五枚組の宇宙。世界平和を願うマエストロの演奏にがっぷりと向き合うことになる。馴染みの48曲96トラックが、ここではどんな表情で自分に語り掛けてくるのだろうか。

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