日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

何かが起こる予感

強い風の吹く日だった。木造三階建ての家は揺れる。風は立ち向かうものではなく受け流すものだと知った。梁がたわんで家全体で受け流していると思うと家の揺れは気にならない。頼むぜ頑張れと応援する。これでまともに耐えたらどこかで崩れるだろう。思えばそれが最後の冬の抵抗だったのだろうか、翌日全てが去り溢れる日差しと15度以上の気温が待っていた。暦はまだ辛うじて三月だったがそれもあと数日だ。

朝7時に目が覚めた。日差しを見て心がうきうきしたのは何故だろう。犬を連れて直ぐに外に出た。風はすっかりなりを潜め空気には角が無かった。何か奇跡が起きそうで、今日は良い日に違いない、そう思った。朝食後に家の窓をすべて開けた。浴室やトイレもいれると全部で20箇所だろうか。爽やかな空気が家に入ってきた。淀んだ空気は沈殿したがるが外気はそれを許さない。少しの風でも室内の空気が入れ替わる。それはとても気持ちが良かった。散らばっていた物を片付けてハタキを掛けて掃除機をかけた。朝から動き始める自分に家内は驚いた様子だった。

掃除の途中、自分はブルートゥース接続の密閉式のヘッドフォンをつけた。それを聴きながらハタキを片手に「踊る」のだから傍から見れば変人だと思った。ボリュームは最大で外の音は一切聞こえない。ただうねるベースと16を叩くハイハットのリズムに身を任せた。

変声期を迎える前のマイケル・ジャクソンの懸命なボーカルに何故心が動かされるのか。アン・ピーブルズに何故痺れるのか、ベティ・ライトの何が自分を揺れ動かすのか、ジョニー・ブリストルバリー・ホワイトに腰が動きステップを踏むのは何故か。音楽の魅力には解き明かすことの不要な多くの「何故」が付きまとう。曲中にはキメがあるがそこはベースラインやシンバルでアクセントが付いている。そこに自分の踊りがきっちりとはまる、いや、そこに踊りをはめることが出来たら実に気持ちが良い。ハタキを終えて掃除機に握り替えた部屋の中で還暦過ぎの自分はまだ踊っていた。アイリーン・キャラが唄うフラッシュダンスのMVを思い出してしまった。汗びっしょりだったから。

気持ちが乗ったままポールを手にしてノルディック・ウォークに出かけた。Tシャツ一枚に半パンだった。三月にそんな格好とは思いもよらなかった。流石に密閉式ヘッドフォンは向いていない。イヤフォンからジェイムス・ブラウンが流れてくると体はうねってしまい真っすぐ歩けなくなってしまう。困りものだった。帰宅後シャワーを浴びてもアドレナリンが頭を満たしていた。

さて、良い一日だったのだろうか?気持ちは高揚し体も心地よくなった。が、やりたいと思っていた事には手が付かなかった。それに向き合うには心を落ち着ける必要があった。・・結局奇跡は起きなかった。それでいいのだろう。奇跡が毎日起きていたら体が参ってしまうだろうから。

何かが起こる予感がすることは素晴らしい。そんな時は無理にオーバーロードにせず、木造三階建ての様に受け流していけばよいのだろう。我が家の揺れは収まっている。まずはそんな予感がいつも来るようにしたい。心が健康であれば来る。あとは自然体だろう。

シンコペーションの効いた16ビート。ベースラインとドラムスを感じれば体は勝手に動き出す。変人だろうとも気にならない。自然体で楽しむのだ。

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