日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

腹帯

友人の娘さんが妊娠されたという。結婚後三年目と言う話だった。その娘さんは母である友には妊娠三カ月でそれを告げたそうだがしばらくは口外しないようにと言われたという。安定期に入り旦那さんからそれを夫の実家に伝えたそうだ。

腹帯などは今も使うのかなぁと水を向けると彼女は続けた。「早速来たらしいのよ、娘の旦那の実家から腹帯が。今時はそんな時代でもないのにねぇ」と。想像がついた。その話を妻にしたら、私ももらったでしょ腹帯、お義母さんから、と言われた。今なら怒ってそれを母につき返していただろうが、あの頃は疑問に思わなかった。古い価値観に凝り固まっている母だからわかる。当たり前のことをしたのだろうと。

今も覚えている。それは二、三メートル近い長さの綿布だった。高倉健が映画でお腹にきつく巻いているさらしと同じに思えた。妻はそれを巻くときには安産祈願のお守りを布に挟んでから緩く巻いていた。確かにそれは日々膨らむお腹を支えそうだし冷えの防止にも役立ちそうだった。妻はそれを一人で巻いていた。見ていた記憶はあれど手伝った記憶はない。それは何か神聖な儀式に思えた。

腹帯=安産祈願 であり、お姑さんとすればそれを送るのは当然なのかもしれない。が、もし仮に自分の娘が嫁ぎ先からそれを貰うのならばありがたいけれど少し複雑な思いがする。赤ちゃんを無事産んでくださいね、と無言に圧力を掛けてはいまいか。妊娠することがそう容易ではないことは知っている。不妊治療と言う言葉は昔からあった。更に妊娠と出産は直結したものでもない。実際身の回りには=で結ばれなかった事例が多い。姉もそうであり、妻もそうであった。

とてもデリケートな話だ。夫婦間でのみ向かい合うべきであり、外野は頼まれぬ限りは黙っているべきだと思う。娘たちがそれぞれ結婚して数年経つが、子供の話は何も言わないようにしている。孫の顔が見たいかと問われればそうも思うし無理しないで欲しいとも思う。

ある日自身の通院で総合病院に行った。駐車場につながった入り口から入ると小児科外来がある。そこには多くの若い家族がいた。おくるみに包まれた赤ん坊は信じられないほど小さくて柔らかそうだった。病院に来る以上何らかの病に向き合っているのだろう。誰もが不安そうだった。

自分の生まれた時代は高度成長期でもありすべては右肩上がりだった。自分の娘たちが生まれた時期はバブル後の低迷期だった。今は更に混迷化した時代で先が読めない。そんな中にしっかりと生まれてくる子供がいる。友人の娘さんもいまはしっかりと腹帯を巻いているのだろう。僕は思わず頑張れみんな、と口にしていた。

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