日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅18 蛍川(宮本輝)

・蛍川(宮本輝筑摩書房・1978年)

宮本輝の小説を読んだことはなかった。思春期の頃に触れていたら、もしかしたら少し違う自分になっていたかもしれない、そんな事を考えた。

手にした本は宮本輝のデビュー作にして太宰治賞を得た「泥の河」、それにその後の芥川賞受賞作である「蛍川」の二作を収めていた。

子供の頃、何処の河で見たのか定かではないが多分横浜の大岡川かその支流、中村川だっただろう。山下公園に親に連れて行ってもらった風景とセットだったからそれはきっと中村川だ、地図を見ながらそう考える。川とは言え人工的に掘った運河だった。そんな狭く濁った川面は港が近いのになぜか臭かった。そこに沢山の船が浮かんでいた。ダルマ舟と言われる動力を持たない船で、そこからは生活の匂いがしていた。それに沿う道路にはリアカーが多く放置されていた。段ボールで囲いがしてあった。今思えばラーメン屋の屋台かおでん屋だったのかもしれない。決して清潔ではないそれらの光景に惹かれたのはなぜなのだろう。幼心にしてそこに「自由」を感じたのだと、今になっては思う。

あそこに住んでみたい。船でもいいし、リアカーに段ボールで家を作ったら何処にでも行ける、そう自分は母に言った事をよく覚えている。何を言うのかね、と母は落胆を通り越し、怒っていた。その怒りは自分にはわからなかった。それほどダルマ舟とリアカーは魅力的だった。今思えばそれは住民登録もせず税金も払っていない船上生活者で、スラム街といえた。そこに憧憬を抱くなどそれは誰もが失望するだろう。

ダルマ舟とリヤカー。子供の頃に見た風景が今も心の中に憧憬となって残っている。小説はその扉を刺激してくれたようだ。

作品「泥の河」はそんな船上生活の母子家族とその川沿いでうどん屋を営む家族、その家族のそれぞれの子供たちの交流を描いた小説だった。

ダルマ舟に渡るには二つのそれぞれの橋を伝う。船の中では二つの部屋の行き来は出来ない。いや、許されていない。隣室は仕事部屋だった。母親は隣の専用の橋を使う。その室内には白粉と夜具があり甘い香りがする。母はそこで体を売っていた。隣り合わせのしかし直接は行き来できない部屋で幼い娘と息子が育っている。

これ以上ここに書く事も不要なほど、心に響く小説だった。自分が中村川にそれを見たのは1960年代終わりごろだろうか。1980年代にも90年代の初めにもまだダルマ舟はたくさん残っていたと記憶する。今はすっかりなくなってしまった。相変わらず綺麗とは言えない運河だが、その上に高速道路が建ち、運河一本隔てたお洒落な元町商店街を歩く小綺麗な娘さんたちが運河沿いのベンチで一休みをするという現代的な風景になっている。

「泥の河」で充分打ちのめされた。表題作「蛍川」も負けず心を打った。幼馴染の女子をそれぞれ好きになってしまった思春期の男子たち。それぞれの家庭に事情がある。幼馴染が好きだという友への告白の後友は独り釣りに行き川で死に、主人公は蛍を見に行く。そこには蛍が織りなす人間の光があった。

主人公が少年期の話が「泥の河」であり、思春期に入りかけたころの話が「蛍川」だった。どちらも見事な筆致で読み通してしまった。

図書館に返してしまうには惜しい本だった。学びたい表現手法もあった。じっくり読もうとネットで一冊注文した。本もCDも断捨離で捨てていくべき世代なのだ。しかし増えてしまうのだから、困った話だった。

ダルマ船への、リアカーの家への憧憬は今もある。自分の夢は、ワンボックスの軽ワゴンの荷台を住居スペースにして日本中をあてもなく走り旅をすることだ。中村川の風景に出会ってから途切れることなくもう五十年以上夢見ている。それは現代版のダルマ舟でありエンジンのついたリアカーの家だった。妻はそれには反対する。しかしそんな心の火は消えたことが無い。

 

図書館に返却するのが惜しい、そんな本だった。文庫本を一冊、発注した。もう一度読もうと思う本だった。

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