日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

悩ましき月餅

山登りの行動食で、コンビニに在ったら買ってしまうのが月餅。もちろん大福のほうが腹持ちも良く優先度は高いので次点だろう。しかし月餅も実力者だ。皮の中にたっぷり詰まった餡がなかなか行動食に適している。行動食はやや多めに買うので下山後に残っているものも多い。窮屈なザックの中で半日過ごすので、たいていはつぶれてしまう。

帰宅してザックから取り出したそんな哀れな月餅を眺めていた。月餅と言っても中華街で売っているようなクルミの入ったものではなく製パンメーカーが作ったものだがこれでも十分美味しい。

その袋の値札が謎だった。どうみても¥149.04に見える。昔流に読むなら149円4銭ということだろうか。もちろん現在は銭は使わない。気になったのでネットで調べた。日銀のサイトだった。銭の廃止は1953年と書かれていた。自分が産まれる十年前だ。親はもちろん、自分の年上の友人の世代にも現役の通貨だったのか。

当時の物価情勢の下、一円未満の通貨での取引が殆どなくなったという事から廃止されたとある。今では計算上発生するので利息や外国為替計算では顔を出すという。

ドルにもユーロにも、それ以下の通貨単位でセントがある。又、思い出した。始めてドイツに出張した時の通貨はマルクにペニヒだった。そのままフランスに飛んだが、そこはフランにサンチームだった。ペニヒもサンチームも1/100の単位だった。当時は複数国出張すると札も硬貨も色々財布に溢れた。出来る限りドルに両替してから帰国したと覚えている。その意味で欧州の大半がユーロになったのはありがたかった。出張ではなく実際に駐在した時はすでにマルクもペニヒも、フランもサンチームもなく、ユーロとセントの世界だった。同じユーロやセントでも各国によってデザインの異なる硬貨を見るのは楽しかった。なぜかワシのマークのドイツ国発行の硬貨に権威を感じていたのは戦後の経済力からだったのかもしれない。オーストリア国発行のモーツァルトの硬貨を手にするのも楽しかった。

とはいえドルにせよユーロにせよ、肌感覚では1セント=1円なのだ。日本だけ欧米から通貨単位が1/100になっている。その意味ですべての金額を円で表現する日本はシンプルだろう。

月餅の¥149.04の意味は分からぬが、間違えなく149円4銭ではないだろう。レシートは直ぐに捨ててしまうので今となっては確認もできない。確認のためにこの店に行くのも馬鹿馬鹿しい。今は様々な支払い方法があり現金支払いの人は大きく減ったはずだ。それでも現金の使用は残っている。仮に銭という通貨があったとしたら我が財布は立ちどころに膨れ上がる。高齢者が認知力低下の為に小銭を使いきれずに何事も札で払うので財布が更に大きく膨らむという事を自分たちは知っている。すでに自分がそうなりかけている。ここに銭の硬貨があったなら更に混乱だったろう。

さらに昔になれば、厘や文という通貨もあったはずだ。その当時は認知症はなかったのだろうか、良く管理できたものだ。いずれにせよ、この値札は何らかの間違えであってほしいと思うだけだ。とんでもない月餅を買ってしまった。ただし味には、いつも通りに満足だったが。

謎の値札。製造日や賞味期限は包装フィルムに刻印されている。銭でなければ別に構わないのだが

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