運河沿いの道は広葉樹から射す木漏れ日でまばらな陰影があり、それが風に揺れていた。大きな運河ではない。一隻の小舟程度の幅だった。自分はその道にたまたま巡り合わせただけで南西方向にある村へのサイクリングの途上だった。
一艘の船がゆっくり進んできた。幅5m、長さ10m程度の船だった。キャビンの屋根で女性が日光浴をしており横にはシェパードがこれまた飼い主と同じ格好で横たわっている。自転車が二台積まれ船尾近くに申し訳程度の操舵室がある。そこには上半身裸の男性が舵を切っていた。船尾にはためくのは黒・赤・黄の横縞。ドイツの国旗だった。その下に縦縞の青・白・赤の旗が掲げてあるのはフランスの国内を旅しているという意味なのだろう。
自転車を止めてしばらく見入った。彼らはドイツから来たのだろう。セーヌ川水系だった。それを上流からパリに向けて航行している。「グーテン・ターク」と声をかけたら「ボンジュール・ムッシュ」と帰ってきた。「ケスク・ブ・ザレ・ウ?」と聞くと「アムステルダム」と答えた。気が遠くなった。オランダ迄この船で行くのか。何とぜいたくな時間の使い方なのだろう。そんな会話が成り立つほど、船はまどろむかのような速度で川下へ向かっているのだった。「ショーネス ヴォッホエンデ」と声をかけてその間抜けさに気づいた。「良い週末を!」ではない。「良い休日を!」だった。しかしドイツ語はそれしか知らなかった。金曜日のスーパーマーケットのレジでいつもそう声をかけられていたから覚えただけだった。船はゆっくりと去り艫が切った波が水面を淡く揺らしていた。
ヨーロッパ人の夏のバカンスはひと月をかけゆっくりと時間と自分達を取り戻すもの。あくせくと予定を詰め込まない。職場のドイツ人もフランス人も皆言っていた。バカンスの為に働いているんだ。と。船を見てああこれがヨーロッパのバカンスだな。こうして自力で船を操り旅をするのは素晴らしいな、とひどく羨ましかった。ドイツからライン川を遡りからスイスを経てローヌ川に出たのか。しかしセーヌ川へはブルゴーニュの丘陵に分水嶺がある。どうやって超えたのだろう。運河に沿ってしばらく遡ると、水門があった。運河の前後に門があり、船はそこに入ると後面門を綴じて水を注入、ないしは放出し進むべき水面まで達したら前面門を開ける。運河の水門を見るのも初めてだった。機械化された水門もあれば、船から降りたキャプテン自らがぐるぐると輪を回して門を開閉するシーンもあった。成程こうして高低差をクリアするのか。気の長い時間だった。
少し前のNHK-BSの放送で、パリからロッテルダムを目指す夫婦の船旅を取材した番組があった。まさに15年前にフランスで見た光景だった。退職金で小さな船を買い船舶免許も取った。セーヌ川をルアーブル迄下ってしまうと外洋だ。吃水の浅い船にはきついだろう、どう進むのか?と思っていたら支流のオワーズ川合流地点で90度以上おも舵を切っていた。懐かしいオワーズ川は穏やかな風景がゆっくり続く。そこから船はベルギー国境地帯のアルデンヌへと進む。連続する水門を越えて分水嶺を越えてベルギー国内に入りオランダへの旅が続く。
旅の途中で船のエンジンが不調に陥り修理工場に立ち寄る。船をもやいで留めては街を歩きパンとチーズ、ワインを仕入れる。長い時間をかけて夫婦はこれまでの人生を振り返る。船旅のようにゆっくりと夫婦とは何かを見つけていく。明暮を共にする中でお互いがそれぞれの相手の存在のありがたさを改めて認識していく。「何も輝かしい事もない、平凡な人生だった。しかし彼女と地道に暮らして定年となり今自由を手に入れた。見知らぬ地で鳥の声で目覚める。何処へ行きどんな生き方をするのかも自分たちで決められる」と。
これからの時間をどう過ごすかはそれぞれが決めるだろう。定年より一足早く社会を離れた自分は果たして今、自由を手に入れたのだろうか。自分の魂の自由は妻の自由にもつながるだろう。自由とは何か。それも答えられそうで答えが無い。それを探してゆっくりと旅をつづけるのだろう。