日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

旅の風景・風の匂い

旅をする人なら誰も、「風の匂い」を知っているだろう。

その旅とは勿論、徒歩や自転車などによる人力の旅の話。バイクや車、鉄道やバス、飛行機などの旅行では残念ながら「風の匂い」を自分は感じたことがない。唯一バイクでは感じるが、その匂いは徒歩や自転車で感じるものよりももっと大雑把だ。移動速度が早いからだ。

ゆっくりと、地形に抗わずに歩き、あるいは自転車で走ると、ふと、空気感が変わったことを感じる事がある。

山歩き。沢をトラバースして枝尾根を辿りつき大汗をかきながら苦労して稜線に上がる。尾根の上ほど風の匂いを感じる場所もない。東から稜線に登ったなら西風に出会える。そこが分水嶺ならば、明らかに風に匂いがある。南から稜線に登ると、北には日本海が見える。もう、風には潮の匂いがする。人工的に作られた杉やヒノキの林の中は明らかに少し甘い独特な匂いがあり、空気自身が少し暖かい。多くは荒れてしまい、朽ちた林の作る折れて腐った枝の匂いかもしれないと思っている。腐食した有機物で空気が暖かいのかもしれない。一方で瑞々しく呼吸をして足元にしっかり保水しているブナやクヌギの天然林では、すがすがしい匂いを感じる。瀕死の林と豊かに生きている林。山と言っても匂いは様々だ。沢はそこにいつも涼味を加えてくれる。

山歩きとは異なり、自転車旅では、そんな風は吹かれるというより自分で作るものだ。峠越えが最たるものか。汗を垂らして脚がパンパンになりそうな中でようやく峠に達する。そこからの下りは走りというよりはむしろ「滑空」や「飛行」を錯覚できる。空を飛ばぬようにと注意深くブレーキレバーを握りながら下っていくと、明らかに異なる冷たい空気が自分を包み込む。が、それすらも標高を下げていくにつれ、暖かい空気にゆっくりと変わっていく事を実感する。冷たい空気と暖かい空気には、それぞれが違う匂いに満ち溢れる。これらは山歩きとはまた違う自転車旅ならではの魅力だ。。

五感をフルに生かして旅をして風の匂いがかげるのはやはり徒歩や自転車に限られる。時速25キロを超えると、もう風は匂うものではなく、感じるものだけになる。

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駿河の国へのサイクリングでは、様々な匂いに包まれた。都会に匂いを期待してはいけない。排気ガス以外の何の匂いもしない。ただただ横を通るクルマに気を付けるだけだ。しかし車道を離れて川沿いに走ってみよう。この川はかつて台風で有名な大洪水を起こした川だ。本州の太平洋側で「南から北に向かって」流れる一級河川はこの川しかないだろう。蛇行気味の河口近くには田畑も多く長閑な匂いに満ち溢れる。

富士を右手に仰ぐことが出来る海岸道を走ってみよう。左手の駿河湾が心地よく、西からの向かい風に苦戦する。風は辛いが、同時に匂いを運んでくる。やはりそれは潮の香りだった。富士の裾野に向けて田んぼの中を走ると、また、匂いは変わった。そして畑の中を行くと今度は堆肥の匂いに包まれる。

このあたりの中核都市迄走る。昔から製紙業で栄えた街だ。この街を抜ける国道一号線を初めてバイクで走り抜けたのは19歳だったか。街全体に漂う異臭にたじろいだ。バイクの速度でもしっかり感じる匂いだった。もちろん新幹線や東海道線、そして高速道路を走る車の中ではその匂いを感じることはできない。

製紙工場の悪臭はパルプを作る際の薬品から来るという。苛性ソーダと硫化ナトリウム。硫黄成分が匂うという。もちろん19歳の頃からは40年近く経ち技術革新もあるだろう。最近は臭くない、とも言われている。

しかしやはり「臭かった」。高い煙突からもうもうと煙を出す工場群の中に走るルートは導かれた。いくつものパイプが工場敷地の中を幾何学的に往来し、それは時折行く手の頭上で道路を横断していた。匂いは強烈だ。ここは「リトル川崎・プチ京浜工業地帯だ」、そう感じざるを得なかった。確かに、40年前とは違うのだろうが。詩に詠まれた田子の浦が近くにあるが、富士山も見えない今日は、長居をしようとは思えぬ場所だった。

やや疲れ切ったような街を西に抜けて、甲斐の国から流れてくる大河を渡る。南アルプスが源流の豊かな川だ。先程の匂いとはまた違った、山の匂いが、流れに乗って飛んできた。あとは駅で愛車・ランドナーをばらして輪行袋に入れるだけだ。鉄道に乗ってしまえば、もう風は感じられない。

一日の、50キロ弱の小さな自転車旅で、沢山の「風の匂い」が自分を包んだ。良い匂いもあれば悪い匂いもあった。どちらにせよそれは「旅をしている」という実感を自分に与えてくれた。登山・トレッキング、サイクリングはだから止められない。「無形の確実なもの」に触れようとするならば、やはりそんな経験しかないだろう。

自分が風の匂いに惹かれるのは、旅が好きだからだ、と今になって思っている。

この川の水系が台風で災害をもたらしたのは昭和33年という。本州南岸で、南から北に流れる河川はこの川以外にあるのだろうか。

駿河湾沿いから北に向かい。長閑な風に包まれる。もうすぐ、収穫だ。

辺りを包み始めた異臭?に、名勝地でゆっくりしようとも思わなかった。

京浜工業地帯なのだろうか、とも思う。いや、それにしては空が広い。街の基幹産業は技術革新の時期を経てもやはり、本質はあまり変わらないようだ。

甲斐駒、鳳凰。そして八ケ岳や甲武信岳。そんな名山で落ちた一滴が沢となり、何時しか集まり大河になる。その河口付近を自転車で渡った。今日の旅はここで終了。最寄り駅までの数キロは、消化試合だ。