日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

無くなった鉄格子

子供の頃近所に精神科の病院があった。鉄筋コンクリート3階建てほどの大きな病棟だった。病室の窓には鉄格子があった。その前を通るのは幼心にも怖かった。鉄格子から「出してくれー」とが腕が伸びて柵を壊すように思えた。実際に腕は出て奇声を発する方も居た。いつも坂道の途中のその病院の前は走って通り過ぎていた。

精神科とは何だろう。それについてもう少し理解を得たのは中学生の時に読んだ北杜夫の小説「楡家の人々」だった。分厚い文庫本二冊からなる大作を何度も手に取った。アララギ派歌人斎藤茂吉の長男・茂太は精神科医、そして次男・宗吉も精神科医だった。次男はその後北杜夫というペンネームで文壇に登場し1960年代以降人気作家の一人となった。斉藤茂太・宗吉の祖父は東京・青山で精神科病院を経営していた。青山脳病院と言う。その脳病院を舞台に戦前から戦後期を生き抜く一家の人間劇が「楡家の人々」だった。北杜夫に憧れ彼が通った旧制松本高校、現在の信州大学は自分の目指す学校となったが生憎そこに入学する実力もなかった。彼の著作に触れることで思いは満たされた。

小説の舞台は昭和初期の精神科病院で、その治療方法も今とは違うものだったと思う。まだ電気ショックやロボトミー手術についての記載もあったと思う。脳のどこかに異常な電気信号を発して暴れ、あるいは昏倒する病人もいただろう。病室の鉄格子はその対策でもあった。

自分の職場には介護や支援が必要になった方に触れあい、そのケアプランを作り福祉の仕組みを利用してプラン実行の手はずを整える方がいる。ケアマネ(ケア・マネージャー)と呼ばれる彼らは日々要介護、要支援者に接する。その多くは高齢者で、認知の低下や加齢による頑迷さが露呈してくる。そこに根気強く丁寧に対応する彼らは素晴らしい仕事だといつも思っている。自分は彼らの苦労話を良く聞く。それは高齢の親を抱える自分の役にも立つからだった。そんなケアマネさん向けに地元の精神科病院の医師による研修が開かれた。ケアマネさんの担当には多かれ少なかれ精神的な障害を持つ方もいる。彼らにどのように対応するべきかは難しい課題と言う事だった。

現役生活の最後半で自分自身も精神疾患に罹患した。人間関係が原因だが一人の人間のメンタリティなどかくも簡単に崩壊するものなのかと思った。お世話になった精神科病院メンタルクリニックを名乗り、明るいビルの一室の落ち着いた部屋が診療室だった。話をじっくり聞いてくれる医師の下に適応障害と診断され抗うつ剤SSRIや不安時の精神安定剤などを処方してもらった。しかし解決には時間がかかり最終的には人間関係のリセットを行いようやく治癒した。ストレッサーと物理的に離れたのだ。罹患した本人にしてみれば実に辛い病であったが、世にはもっと多種の精神疾患がある。高齢者は配偶者を失い自らの体調も衰えてくる。メンタルバランスも崩れてくる。そこに認知力の低下が加わる。そうして精神を病んだな方々に接するケアマネ向けの講習だった。彼らは話してくれる。罵詈雑言を吐かれ、泥棒扱いされ、物を投げつけられたり暴力を受ける事もあると。

統合失調症:罹患された人々の言うことを否定してはいけない。心にナイフが刺さっている。盗聴されている。脳を腕でかき乱されている。ありえない話だがその全てが本人にとっては正しい。それをケアマネは否定してはいけない。すみやかに専門医につなげる事。

双極性障害:躁のときはすさまじいエネルギー。失速して鬱が長い。攻撃的になることもある。躁の時は金遣いも荒くなり男性になると顕著。株やギャンブルに全財産をつぎ込むこともある。躁のエネルギーが強ければ強い程鬱は長く深い。家族に与えるダメージ在り速やかに専門家の受診に導く事。

多くの病の例とそれに対応についての講義だった。自分の仕事をしながら聞いていたので全てが頭には残っていない。が、病のバリエーションの多さと対応の難しさは伝わった。ケアマネと対象者の信頼が一度失われると関係再構築は出来ない。速やかに担当を変えるほうが良いとも説明されていた。

高度に複雑化された社会、希薄になりがちな人間関係の中で自らをすり減らすことで精神疾患は誰にも起こりうる。ただ一つ言えるとすれば、精神疾患に対する社会の見方は大きく変わっただろうという事。くだんの精神病院の前をしばらく前に車で走ったが、もうそこには鉄格子もなく明るいクリーム色の建物は看板を見なければ普通の総合病院にしか見えなかった。障害に苦しむ方の就労移行支援をするリハビリ施設も出来ている。誰もが心に何かを抱えながらも社会生活が行えるように変わってきた。良い方向に社会は変わってきている。

ネットで調べると脳とはその重量僅か1.2~1.5キロ程度の臓器とある。体重67キロ程度の自分にとっては3%程度しか占めない、軽いものだ。腫瘍が出来て取り除いたせいで自分の脳はさらに軽いだろう。しかしこれが自分の総てを司どっているのだから馬鹿に出来ない。この神秘的な臓器とは長く親しく付き合わなくてはな、と考える。

戦中戦後を生き抜く一家を描いた大作だった。書の世界から精神医学は進み治療も認識も社会の仕組みも変わったのだろう。

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