日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅38 海と毒薬 遠藤周作

●海と毒薬 遠藤周作 角川文庫 昭和35年

コロナが世の中を変えてから発熱程度で気軽に通院する事が出来なくなった。発熱外来と言う予約制の診療科が出来た。病院に来る人の多くは発熱だろうから発熱外来とは何だろう、と思うのだった。昨年末に軽い誤嚥を起こしてから咳が止まらなくなり熱もあった。そこで久しぶりの医院に訪れた。そこは小さな内科医院で家庭的なオペレーションだったのであまり口うるさくないのだろう、と想像した。

社会人になった年に両親は同じ区内だがすこし西側に引っ越した。そこが自分の実家となった。そこに住むようになってから最初にやったのが病院探しだった。もともと喘息持ちだったがやや治まっていた。しかし学生時代の終わりには何故か再発することが多かった。歩いて15分程度に傾斜地にできた真新しい集合住宅がありその一角にクリニックの看板があった。内科・放射線科と書かれていた。当時は放射線科の意味も解らなかったが内科なので良いか、とそこに決めた。

医師は痩せて目の大きな穏やかな方だった。症状に対して顔をしかめて同情を示された。待合室の大鏡に「贈呈:九州大学医学部病院」と書かれていた。その時僕は一瞬怯んだ。生理的に拒もうと思った。しかし直ぐに診察の順番が来た。以来何度もお世話になってきた。喘息の発作でネブライザーを用いてテオフィリン製剤を吸引する事もあった。

B-29は太平洋戦争時に米軍が対日本戦に導入した戦略爆撃機だった。高度1万メートルを悠々と飛来するこの爆撃機には当時の日本陸海軍戦闘機ではまっとうに歯が立たない。しまいには陸軍機を中心に捨て身の体当たりといった戦法をすら生んだ。東京大空襲、広島と長崎への原爆投下。それらはサイパンが米軍の手に落ちてからの話だ。そこから飛んでくるのだった。しかしB-29 による日本本土爆撃はこれ以前もあった。北九州市を中心とした製鉄所が米軍の攻撃目標で、B-29は中国本土から飛来していた。

九州大学医学部病院でB-29搭乗員捕虜の生体解剖実験があったことをご存知の人はいかほどだろう。捕虜の取り扱い協定は1949年度のジュネーブ条約で厳密に規定されているがこれはそれ以前の話だった。遠藤周作は軽妙洒脱なエッセイで中学高校の頃北杜夫とともに好きな作家だった。彼のエッセイから入り文芸作品に行きつくと、ある作品は避けられない。「海と毒薬」だった。九州大学医学部での実験に立ち会った医師や関係者の視点で描かれた小説だった。実験は事実だからノンフィクションでもあれば小説ならではの虚構も配されている。

180ページに満たない小説だが中身はずしりと重く高校生で読んだときには消化不良だったと記憶する。これから我が身に何が起きるのか、何も知らない捕虜を人体実験するのだ。生理食塩水を何㏄注入したら息耐えるのか?血管に空気を何CC入れたら絶命するのか、肺をどの程度まで切除すれば死に至るのか・・。幾つものテーマがあった様だった。特に肺の切除については当時はまだ病巣切除以外に有効な治療方法もなかった結核に対しては意義深い実験である、とすら当事者は意見していたようだった。

本のテーマは、一市井の医師や看護師がなぜこのような道徳性のかけらもない蛮行に至ったのかを、日本人の宗教観を絡めて言いたいのだろうと思う。しかしそれに対する明快な回答は文中には出てこない。

「俺たち、いつか罰を受けるやろ。罰を受けても当たり前やけんど」「俺もお前もこんな時代のこんな医学部に居たから捕虜を解剖しただけや。俺たちを罰する立場の連中かて同じ立場ならどうなったかわからんぞ」そう執刀に立ち会った医師二人は話をする。

日常の中には狂気が潜んでいる。そこに道徳はあるのか。とすると背徳とは何か?それは償わなくてよいのか?カトリック信者でもある作家遠藤周作の作品を読めば彼が一貫して追求しているテーマはそれであったと知るのだった。「人間の原罪」だ。

九州大学医学部卒業のドクターはもう80歳に手が届くだろうがしっかり対応して下さった。すっかり容貌は変わったが昔通りの大きな目で患者の話をゆっくりと聞いて薬を処方してくれた。僕は彼の処方箋が好きだったのだ。しかしただ九州大学医学部卒業と知っただけで本能的な恐れを抱いた。それを恥じた。

お大事にと言ってくださった。薬を三日間飲んで、体調は上向きになってきた。先生有り難う、昔と変わらぬ診察でしたね とベッドの中で口にした、

高校生の頃に読んだ本はもう残っていない。これは中古を手に入れた。あの頃と感じ方は少しは違ったのだろうか?

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