日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

VY FBな日

・・・- -・-- ・・-・ -・・・

僕はそんな符号を口に出していた。

・をト、-をツーで読み替えるとトトトツー、ツートツーツー、トトツート、ツートトトになる。何じゃこれはと思うが覚えてしまえばわけない話だ。その気になればだれでも覚えられる。そして一度覚えると忘れない。最初の文字はアルファベットのV。次はY。そしてF、Bとなる。VYFBだ。

三日間風呂に入っていなかったのは怠けていたからでもなく体調が悪かったからだ。ずっと熱が続き、解熱剤を飲んでは効能が切れまた飲む、そんなイタチごっこだった。自分でも呆れるほどにひたすら寝た。三日目の午後にようやくそれも治まり、喉と関節の痛みも消えていた。夕方になり散歩しようと外に出た。具合が悪いから大人しくしているというのは理にかなっているが、少し付加がかかっても戸外に出る事のすばらしさを思う存分に感じた。高台の公園に出た。鳥は飛び、子供たちはボールを蹴る。するとボールがまた風を産み枯芝が舞う。ソヨゴの樹は風に揺れ桜の木はもう少しで芽吹こうとしている。傾きかけた日は港のランドマークタワーを赤く染めてベイブリッジに影を掛けている。生きた風景を前にして僕は体の血がすっかり入れ替わるのを感じていた。無理して床を抜け出してよかったな、と思うのだった。

これなら風呂に入ってももう体も大丈夫だろう、三日ぶりか。ならば今日は銭湯にしよう、そう決めて風呂道具を纏めた。ラジウム鉱泉に、ジェット噴流の湯につかっているとスッキリした。

湯船の中で「ああ、エフビーじゃ。それもベリーエフビーじゃ」。そう独り言を言ってしまった。帰りの車の中で妻にそんな話をした。そう、エフビーだったのね、それはよかったね。と彼女は言うのだった。

謎の多すぎる単語だった。しかし自分が一時日常的に使っていたので妻もその意味を知ったようだ。FBとは英語のFine Businessの頭文字。が、それが英語を母国語とする「普通の」人にその意味で通じるのかは自信が無い。しかし自分達は「素晴らしい」という意味で使っている。「普通の人」ではない人にはこれが通じる。それも国籍問わずに通じる。三十代の頃だろうか、上司の示した方針に思わず自分はこう答えてしまった。「それはFBな案ですね」と。しかしそれは彼には通じたどころかベリーだろ、ベリーエフビー!と言い直される始末だった。確かにそれは名案だったのだ。上司と自分はアマチュア無線家だった。ともに電信、つまりモールス信号を理解するのだった。26個のアルファベットに加えゼロ~9までの数字、あとは?マークを長点(-・ツー)と短点(・ト)で形作る、わずかに37個の組み合わせを覚えるだけの話だった。無線技術が世に出たころは送信機も受信機も今の様な性能ではなく雑音紛れでまともに交信は出来なかった。そこで音声を送るのではなく短い音の組み合わせだけを送ろうという発想が生まれた。モールス信号だった。この最低限な情報量による通信手段は船の照明信号としても使われている。船乗りなら誰もが知るのだろう。

全ての英文をモールス信号で送ることも出来るがそれは余りに長い。そこで略字が出てくる。略符号とQ符号だ。FBは略符号となる。

略符号
VY・とても(Very)
WX・天気
X・奥様
OM・先輩
TNX・ありがとう
TU・ありがとう
73・さようなら

Q符号
QTH・場所は?
QRA・名前は?
QRZ・どちら様ですか?
QRM・混信してますか?
QSY・(周波数を)移動します

こんな略語はすぐに身に付き手短なのでいつしか生活の中に出てきてしまうのだった。だからアマチュア無線家同士なら会話が早い。今日は良いWXだね。あれもうQSYしたんだっけ?寝坊してXに怒られてね(今日は良い天気だね、もう引っ越したの?寝坊して奥様に怒られてね)と、そんな具合だった。この時点でかなりオタクで特異性に溢れる世界だがこれをモールス信号で送り聞き取るというのだから知らない人が見れば奇人か某国の諜報部員にしか見えないだろう。

銭湯の長湯でまずはVF FBだな(とても素晴らしいな)が頭に浮かんだ。病み上がり、軽い散歩、心地よい風呂。実際それは「とても素晴らしかった」。それをモールスに置きかえたのは頭の体操を試みたからだった。まだ錆びていないことが嬉しかった。ここしばらくモールス信号から遠ざかっているがまだ打てるだろう。聞き取りはゆっくりめに打電してほしいが。

体調を崩して数日寝込んだ。体が元に戻ると頭のネジも締まった様だ。忘れていたスイッチが入り昔の様に回り始めた。今日はなかなかVYFBな日だったのではないか。

アマチュア無線で覚えた略語やモールス信号などは生活の中に溶け込んでしまったのでなかなか忘れない。時々頭のさび落としが必要になるので敢えて思い出してみる。何にせよ、今日はとても素晴らしかった。

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