春がやってくる。とげとげしかった空気は概ね何処かへ飛んで行った。なによりも色とりどりの花が咲き始める。吹く風とその匂いが到来を教えてくれる。心なしか、気持ちも軽くなる。そんな春だが、爛漫になる少し前の時期が美しいと思う。桜も満開になってしまえば散るばかり。梅が咲き、菜の花が色づき、桜のつぼみが膨らみ始める時期が、一番魅力にあふれていると思うのは自分だけだろうか。息吹が強い生命力を感じさせてくれる。
地元の街から2時間近く電車に揺られた。しかし直通相互乗り入れが実現し乗り換えなしで埼玉県北東部まで行けるのだから隔世の感があった。明日は好天だね、と山仲間と話して急遽決めた山歩き。奥武蔵エリアでも前衛の八高線沿いにはあまり顕著な登山対象の山もないのだが、ハイキングにはもってこいのエリアだろう。
単線の駅をおりて長閑なの山すそを歩いて直ぐに山にとりついた。このエリアは人間の生活と山の境目が不明瞭に思える。植林帯になりジグザグに登るとすぐに稜線だった。目指す山頂までは若干木の根っこが露出した急斜面だった。ザックをおろし山仲間とここでのんびりと「トカゲをきめる」と決め込んだ。標高344mとはいえ眼下の北関東の展望は大きく広がり、まさに背伸びをして寝っ転がるのに向いていた。
友と自分はともにアマチュア無線家。山頂でのアマチュア無線も適度に楽しめた。「CQCQCQ、こちらは7M3〇〇〇埼玉県○○町移動、どなたかご入感の局はいらっしゃいますか?」そう不特定多数に呼びかけ、誰とも知らぬ聞いているアマチュア局がそれに応答する。今そのような姿のコミュニケーションの形はあるのだろうか。不特定多数に呼びかけるのはツィッターなどのSNSが面白いし反響も大きい、ということになるのだろうか。アマチュア無線の免許所持者は一応は技士であるから、通信を効率よく行うためにそれなりの技術研鑽をしている。そのあたりが面白いのだが残念ながらそれはごくごくオジサン世代に残るマニアの世界になりつつある。若い世代にも何処かに面白味があるとは思うのだが。
春山の呑気なやまびこのように、ぽろぽろと応答が帰ってきてアマチュア無線は閉局した。あっけなく下山して、里道歩きとなった。黄色いラッパスイセンが咲き、菜の花が風に揺れている。梅も混じる。その視線の奥に桜が咲き始めていた。色彩の絨毯がグラデーションのように広がる。それは春が段階を追って近づいてくるものと思えた。
山麓の駅近くで美味しい武蔵野のうどんを食べて、都会の街へ戻る。自宅の近所の桜の木は本数が少なくぽつんと寂しいそうに芽吹き始めていた。色彩の絨毯は、やはり里山ならばだろう。春は確実に足下までやって来る、それを一足早く味わって少し得をした気分だった。 (山行日:2023年3月21日)