日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

医者との付き合い 悪性リンパ腫その後

良い医者とは何だろう。症状に合わせた治療をしてくれる医師か。自分の納得のいく説明をしてくれる医師か。安心感を与えてくれる医師だろうか。

最初のポイントが最も大切だろうが、後者2点も重要だ。余り説明を受けぬままとにかく治療を受けて治癒。それは素晴らしいが病が単純でない場合はそうもいかないだろう。患者もきちんと知りたいし、安心したいのだから。

自分の病(悪性リンパ腫起因による脳腫瘍)では脳外科との付き合いは余り濃密ではなかった。切除野を示してくれるでもなく、とにかく腫瘍は可能な限り切り取ってその細胞診断をしてくれた。詳しい説明もしてくれたのかもしれないが、なにせこちらの記憶は飛んでいる。微妙な手術を神がかったメスさばきで行ってくれた、素晴らしい医師だったと思う。

転院した違う病院での血液内科の主治医は「対話」を大切にしてくれた。自分の腫瘍のタイプと進行具合(ステージ)、治療法、そして平均余命について、全てを包み隠さず説明してくれた。こちらがどんな素人レベルで質問をしても、気長にわかりやすく説明してくれた。入院時の家内を交えた面談が2時間以上かかったのだから、その懇切丁寧ぶりがしのばれる。医者としては言いずらいかもしれないセカンドオピニオンについても、積極的に他院にも確認してほしいとすら語ってくれた。

その面談の後、心から納得して「この先生の治療を信じよう」と思ったのだった。3か月の入院と3か月の通院に渡る長い治療の幕開けだった。

主治医の予定した治療を終えてからは、満足のいく結果をもって「様子見モード」に移行した。最後の診療で、主治医が自分に語ってくれた今後5年間の生存の確率にはショックを受けたが、ある程度想像をしていたことでもあった。そして彼は最後に言う。「もう二度と自分とは会わないようになればいいですね。」

最期まで主治医は、「信頼できる医者」だった。彼の治療を受けてとても良かったと思ったのだった。

その後の「様子見モード」での治療は、同じ病院の医者が派遣されている小さなクリニックだった。新しい医師も入院していた病棟で見かけていた。同じ血液内科の医者だった。

様子見モードでの治療は、毎月の血液検査。半年おき程度でのCT検査。それの繰り返しだ。新しい主治医さんは前と異なり徹底的に患者と寄り添うという感じはあまり感じなかった。質問に対する回答もあっさりして、毎回その診療は数分間の時間だった。

血液検査のフィードバックではすべてのデータ値を参考にするのだが、自分の場合は「可溶性IL-2R」という値が大切だった。これが安全圏ですから大丈夫です。そんな説明だった。なんだろう、これは。一般的な腫瘍マーカーなのか。それもわからなかったが、特に問題ないという事で自分も深追いはしなかった。

先日の血液検査の結果を見て主治医は首をかしげてこう尋ねた。

「採血前になにかキツイ運動されましたか?」

何故わかるのだろう。仰る通りでその採血2日前に登山をして、筋肉痛で歩くのも厳しい状態で採血したのだ。

「それがわかるのですか?確かに2日前にハードな登山をしました」というと、数多ある検査項目の中から「CK」という項目を示して説明してくれた。「これが高いからわかるのです。」

どういう意味なのか、いくつか質問の仕方を変えてみるとよくわかる答えが来た。

「これは筋肉に含まれる酵素ですが運動などで破損すると血液に流出します。これの血中濃度が多いという事は筋肉組織が大きく傷ついているという事です。」

なるほど、と膝を打った。

さすが医者だった。すべてがロジカルで、とても分かりやすかった。そしてついでに聞いてみた。「いつもチェックされている「可溶性IL-2R」とは何ですか?いわゆる腫瘍マーカーでしょうか?」

「これは可溶性インターロイキン2レセプターといい、腫瘍マーカーともいえますが、悪性リンパ腫の再発を見ている値ですよ。数値が高く鳴れば悪性リンパ腫が疑われるのです。」

これもまたこれまでの曖昧な想いが氷解する答えだった。自分の病にピンポイントした観察値だったのだ。

素晴らしい医者だったのだ。説明の仕方や人との向き合い方にはやはり人間としての個性がある。そのことにようやく気付いた。必要以上の事は語らずいたずらな不安は与えないものの患者が知りたいことは全て納得のいく説明をしてくれる、それだけの事だった。

最初の主治医が例外的だったのかもしれない。すべてにオープンに向き合い時間をかけてくれた。しかし今の主治医の目利きの良さも流石だと思うのだった。さすがに血液内科の看板を掲げているだけあった。

患者にとって良い医者とはなにか。適切な治療は当然で、医師免許を取得した方である以上それはある程度は担保されるのだろう。何かわからないな?と思う場合は患者側から欲しい情報を引き出せばよいだけの事だった。「知りたい」という想いがあれば誰しも真摯に答えてくれる。

いたずらに多くの情報を出して患者を困らせるよりは、必要最低限の開示であとは患者との関係構築の間で進めてけば良い、そういう考えも良くわかるのだった。

毎月血液検査をしているというのはなかなかよいもので、くだんの値以外も肝臓系・生活習慣病系(尿酸値・中性脂肪・善玉悪玉コレステロール・血糖値など)全てが定点観測される。目下全ては青信号。何か兆候があれば、今の主治医がきちんと示してくれるだろう。

少し時間がかかったが、方法論がいくつもあることもわかった。もちろん、これからも良い値であってくれるのが、一番うれしい事だ。なによりも、人を信じる安堵感が心の中に大きい。医者との付き合い方がようやくわかったように思えた。

相手を信じ、コミュニケーションをしっかりとること。医者と患者の関係ばかりでなく、社会でも、家庭でも変わらない。人間は独りで生きているのではないのだから当たり前すぎる話だろう。

血液内科の主治医さんが初回ガイダンスの際に用いてくれた冊子は、今も時々見る。つくづく厄介な病だと思うと同時に、きちんと説明してくれた主治医さんと、今があることに感謝が湧く。相手への信頼が全てだと改めて思うのだった。