「麺修行」とは美味しいラーメン・麺類を求めて諸国行脚する行為で、その意味での命名者はたぶん自分ではないか。ともかくラーメン(中華そば・支那ソバ)が好きで暇さえあればそこら中に行っていた。それを自ら「修行」とか「行脚」とか呼び、独り悦に入っていたのだからアホの極みだろう。
ちなにみに広辞苑を開くと修業にはいくつもの意味があるようだが「精神を磨き学問・技芸などを収め磨く事」というのがピンとくる。あてつけだがこれなら自分の行為にはうまくはまりそうだ。箔付けされたようなもんだ。
勿論修行で全国行脚される僧であるならば痩身だろう。しかしラーメンで全国行脚する男の腹は無様に膨張している。生臭な修行僧。修行という単語にも申し訳ないところだ。
通っている病院は川崎方面にあり、先日の通院時に、せっかくだから「小さな行脚に出るか」となった。同伴は家内。彼女も気の毒にこれまで「修行・行脚」に付き合ってきた。きっとそれが好きなのだろう、と思っていた。
武蔵野のうどんに惹かれている。極太で赤茶色のうどんは讃岐うどんで育った香川県人である自分を驚愕させた。良く冷えたそれを暖かい肉つけ汁に浸して食べるのが武蔵野では一般的なうどんのようだ。武蔵野ばかりでなく埼玉方面にかけてこのメニューはあるそうだ。小麦の名産地だからだろう。
武蔵村山の「かてうどん」が好きだが台風接近の中そこまで行くのは面倒だった。あ、小平うどんにしてみよう。写真で見ているとそれは武蔵野うどんのフォーマットで、気になっていた。
小平市まで行かずしても、お店は近くにも在った。聖蹟桜ヶ丘だった。300グラムの麺が「ミニ」となっているが、何という量だろう。家内と二人でそれを頂き満足した。もちもちの麺、豚バラとネギがたっぷり入ったしょっぱいつけ汁。あっという間だった。
台風の最中を車に戻る。せっかくここまで北上したのだから何かいいことは?と考えていたら「修行スイッチ」が入ってしまった。このままほぼ西に向かえば、相模原市に出る。JR淵野辺駅の北と南にそれぞれ好きなラーメン屋がある。どちらも大勝軒だ。
家内はこの修行に乗り気だった。ラーメン?食べられるよ、と言う。さすがだ。しかし言った張本人は時間とともに苦しくなってきた。思ったよりも量が多いのだった。運転しながらゲップまでも出てきたが、修行を投げ出してはいけない。使命感があった。
道順的に駅の北側の店に最初に到着した。10年ぶりくらいだろうか?長女とハイキングの帰りに寄った記憶があるがそれが最後だった。しかし今日は暖簾がかかっていなかった。定休日だった。
内心ほっとして駅の南側の店、鹿沼台公園の横にあるもう一軒へ。国道16号からすぐなのでこちらのほうが通った回数は多かった。店内には漫画もあり、子供たちが小さなときは行楽の帰りに良く立ち寄った店だ。しかしこちらも暖簾がかかっていなかった。同様に定休日だったのだ。
「ああよかった」と胸をなでおろした。これで2軒とも開店していたらとんでもないことになっただろう。胃が劣化したのか昔のような過酷な修行は出来なくなったようだ。家内は不満そうだったが、「これも不徳のなすところで」と謝っておいた。
さて、火がついてしまったのだから仕方がない。幸いにここは自宅から1時間で行ける。今度は定休日をしっかり確認して、事前から断食して、一日にして二軒続けての「荒行」に挑むことにしよう。なに、若い頃は平気でやっていたことではないか。全く麺修行も楽ではない。「おいおい、あまり無理するなよ」ともう一人の俗人の自分の声が聞こえる。聖人を目指す追求の旅は、かくも厳しい。
美味しい麺があり、何十年の時を経た今でも営業されているという事はとても素晴らしい事だ。それこそ店主さんの日々の鍛錬・修行のあかしだろう。