日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ちょっと好い風景

自分がバイクに乗っていた期間は18歳から25年間程度だろうか。乗り始めの数年は250ccの2気筒アメリカンバイクだったが後は一貫して200~250ccの単気筒のオフロードバイクだった。

欧州に転勤する前に、海外赴任が何年に及ぶかもわからなかったため手持ちの230cc単気筒バイクを売却した。それが最後だった。泣く泣くと言えばよいが、実はその数年前からバイクの持つ速度感に自分の判断能力が追い付かないという自覚があった。バイクを辞めたのは潮時だった。

いまでも未練ありありだ。家のすぐ下の国道には中古バイクのチェーン店がある。散歩の途中で立ち止まらざるを得ない。店内に一歩足を入れるなら、魅力的な匂いに包まれるのだ。タイヤの匂い?メカ調整の油の匂い?試運転の排気ガス? すべてが混然となった匂いに、自分はいつも頭の中が遠くに行ってしまう錯覚を覚えるのだった。これでキックを踏ませてもらってエンジンが唸るのなら、もう契約書にサインするのも時間の問題だろう。そうはいかない。だから跨らないし、セルボタンも押さない。

自分で乗れそうなバイクをしげしげと眺めパンフレットを持ち替えると、すぐに家内が飛んできた。「もうバイクは止めたんでしょ。危険なんだから、だめだよ」

畜生、という想いと、仰る通りです、という想いが交錯する。まったくこれだから女性は仕方ないな。と思うしかない。

旅先で素敵な風景を見た。二名でのツーリングの途中で、揃って道の駅で休憩を取っているのだった。一台はヤマハSR400。そしてもう一台はカワサキW650。いずれも素敵なバイクだった。とくにビッグシングルの好きな自分はSRに釘付けだ。

見とれていると二台のオーナーと自然に会話が生まれてた。彼らは親子で、地元在住。ともに休みが取れたので、諏訪湖辺りまでゆっくり走る、という話だった。親父さんのW650はキック一発でエンジンがかかったが息子さんのSRはケッチンを食らっていた。電子制御になる前のキャブ搭載の最終形だと言われていた。

SOHC2気筒のすばらしいエンジン音に、ようやく息子さんの渾身のキックでSOHCビッグシングルの目が覚めた。まるで、1000馬力級の栄エンジンと2000馬力級の誉エンジンが同時に動き出したような気がして、身の毛がよだった。言い換えれば隼・ゼロ戦紫電改が同時にエンジンを始動したかのようだ。道の駅一帯の森が振動し、呼応するように咆哮する。自分の膀胱も負けじと、失禁寸前だった。

親父息子の二人で、レトロなバイクで旅をしていく。これは映画にもなりそうな「ちょっと好い風景」だった。女性にはわかるまい。とほくそ笑むが、もう自分には彼らを乗りこなす自信もないし、人力でこぐ2輪車が楽しくて仕方ないのだから、遠い眼で眺めるだけだった。

センスがあればちょっとしたロードムービー辺りが撮れそうだった。むろん自分は去っていた彼らが残した排気音の匂いを嗅ぐだけで充分だった。原始的な4ストエンジンは本当に良い燃焼臭がするな。音、匂い、振動。三位一体の素晴らしい世界。これだからいつの日かまたふらふらと中古車屋に行き、懐かしいガレージの匂いを嗅いでしまったら、自分に何が起こるかは分からない。その際は申し訳ないが奥さんには、内緒だろう。

父と息子の二人旅。二人の素敵な呼吸感と2台のバイクの作る排気音は「ちょっと好い風景」だった。いつまでも放たれる危険な香りだ。