日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

筑波山を見て走る・茨城サイクリング

サイクリングをしたルートを頭の中の地図で広げて見る。とぎれとぎれだと間を結びたくなる。またある点から全く違う点まで伸ばしてみたくなる。自分のサイクリングルートの決定はそんな過程を経る。JR宇都宮線古河駅から常磐線土浦駅、いやその先の霞ケ浦まで伸ばしたくなったのは関東平野の中央部を横切ってみたかったからだろう。渡良瀬遊水地を擁する古河は何度もサイクリングの起点になってきた。仕事で何度か立ち寄った土浦では美味しい鰻や川魚料理を食べた記憶もあった。周囲に目立つ筑波山加波山は旧友だった。霞ケ浦は成田に着陸する機内からいつも右手に見ていた。それはまさに地図の通りの形をしていた。行ってみようと思った。既知と旧知そして未知を結ぶテーマは楽しそうに思えた。

クラシックロードに乗る仲間二名とランドナーの自分。三台の鉄ホリゾンタルフレームの自転車だった。東に小さく筑波山が見えた。北に並んで加波山が見えた。いまからあの山麓まで東に進む。そこには山裾を南北に走る廃線跡がある。関東鉄道筑波線。1987年に廃線となりその跡地がサイクリングロードとなっているようだった。関東平野を横切り廃線を辿り土浦に出るルートだった。

国道を東に辿れば容易に、かつ最短で下妻市に至り筑波山山麓まで行ける事は分かっていたが、里道が好きな自分達はそれを選択肢から外した。国道では地元の空気を感じる事は出来ない。ただ排気ガスと通り抜けるトラックへの恐怖だけだった。しかし一本裏道に入り、田んぼや畑の中を走るならば途端に空気が変わることを僕たちサイクリストは知っている。

トップを走る友は絶妙なルートを探していく。東北新幹線をくぐり道の駅で一休み。そして下妻まではソバ畑とキャベツ畑の道だった。堆肥の匂いに包まれる。野焼きの煙を通り過ぎる。日焼けした地元の方に話しかける。人々の生活の中をゆっくりと走るのだった。鬼怒川を渡る時にその川の上流の日光が思い出された。北に目をやると確かに銀嶺があった。つい数ヶ月前に登った女峰山と何十年も昔に登った男体山だった。もう冠雪していた。まさに相並ぶ両峰は夫婦だった。その頂きに僕は再会の挨拶を忘れなかった。東には終始筑波山とその北に加波山が立っている。こちらにも久しぶり、と声をかけた。多くの懐かしい山々が自分を包み幸せだった。関東平野は実に大きい。時計で言えば23時から15時までを視界に収めているだけだった。振り返ればすべてが地平線のはずだ。

下妻の街で昼食を摂りそのまま筑波山のふもとまで来てサイクリングロードになった。当時の駅のホームがそのまま残っていた。ずっと単線幅のルートだが何処かで入れ替え駅があったはずだった。しかし分からなかった。道型は往時の面影のままゆったりと南下した。ずっと桜並木だった。ここに数両編成の気動車が走っていたかと思うと気が遠くなった。

土浦に出た。常磐線を越えてすぐに霞ケ浦の北端だった。ここで日本第二の湖が目の前に広がった。果て無く見えた。思い描いた通りのルートをトラブルなく走り切った。人里を走り畑を抜け古い鉄道跡を辿った。そこには人の営みがあった。そしてその営為は大きな自然の中の一部に組み込まれていた。そこを僕たちは縫うように走った。秋の風だと思った。風は生活の臭いと人の体温を感じさせる里と大きな風景の中を渡っていく。その行先はいつも自分の心の内面だった。それが好きで走っている。

途中でペダルとチェンリングに足を挟まれて踵に怪我をし出血した。うっかりだった。土浦駅で三台の自転車は輪行袋にそれぞれ収まった。足を引きずりながら同駅始発電車品川行きのボックス席を陣取り、缶ビールとおつまみだった。酔って眠そうな顔をした三人から、霞ケ浦を走りたいね、そんな次の計画が誰からともなく出るのは嬉しかった。全く遊ぶことに貪欲な六十過ぎの連中だった。いいぞ、いいぞと小さく快哉を叫んだが、単調な電車の揺れに寝てしまった。

古河・下妻・土浦。筑波山を絶えず正面に見ながらのランだった。平野に人は住み生活がある。そんな中を僕達は風になり通り過ぎた。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村