奥武蔵エリアは関東のハイカーにはメジャーなエリアだ。石灰岩のために山頂から切り崩され続ける武甲山は哀れの極みだが、山の姿を保つ限りは未だ名山には違いない。加え武川岳、大持山、伊豆ヶ岳、1000メートル級のこのあたりは特に人気がある。もう少し東、八高線沿いになると山は丘陵と言うものになる。そんな八高線沿いは里も近く手軽なハイキングになろう。
9月も半ば、友とこのエリアを歩いた。それはその翌週以降に予定している大きな山への「足慣らし」であった。まこと八高線沿いの山はそんな役目を負うのに相応しい。
海抜400メートルにも満たない山々の中から、駅からのアプローチの良い大高取山を選んだ。
檜や杉の人工林。薄暗く湿気もあり楽しさのかけらもない林の中を高取山、大高取山、桂木山、そして行基菩薩が建立したという桂木観音へと歩き繋いだ。地元の方にとっては格好のルートなのだろうか、出会う人も多かった。唯一展望の開けた大高取山(376メートル)では久々にアマチュア無線運営に少し腰を据えた。彼岸花の咲く里山は長閑だった。
里山で思うことは人間社会との濃い繋がりだろう。人工林の中の薄暗いつづら折れを降りると陽の光が漏れてきて神社の裏手に降り立つ。思いの外手入れされた境内を前に思わずに干からびた鈴の紐をゆらし、古びた賽銭箱には自ずと小銭。手を合わす。鳥居をくぐり野焼きの煙や畑の土の匂いに包まれると庭の手入れの行き届いた農家の軒先をかすめる。すぐに集落だ。
今回の山も、そんな山と人の営みの境も分明ではなく、気づけは里歩きだった。
大きな街の宅地に住んでいるとこの程度の里山でもいつも新鮮だ。ここにも生活があると思うと山はますます愛おしい。
周囲数里にかけて山しかない深山。人との結びつきの濃さを感じる里山。
完璧な非日常、あるいはその中に潜む日常は人をいざなう。自分はそのどちらにも惹かれている。
足慣らしは終わった。秋の好日が期待できる来週は、今日とは違い「完璧なる非日常感」をじっくり味わせてくれる山だ。
下山して入った日帰り湯の火照りには、秋の夕暮れの里山に吹く風が心地よい。
来週の山のことを考えながら帰宅への電車に揺られる。今日も「好い山」だった。
・ルートについて
大高取山へは駅から直接取り付くルートを取った。起点の越生駅には詳しい地形図プリントが置かれているので参考としたい。里山ゆえの多くの道が山中にて交錯するが道標は完備されている。大高取山のみ展望は関東平野に向けて広がる。グランピングやキャンプ、宿泊施設を備えたオーパーク生越には日帰り入浴施設、そして八高線駅への無料送迎バスもある。
・関連リンク
https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/09/25/232958
https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/09/26/233632