日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

サグラダ・ファミリア

二年前から始めたブログ。当初は散発的に投稿していたが今は出来るだけ毎日書くようにしている。楽しいからだ。1600字前後を目途にしているが完成までは興が乗れば一時間程度、苦吟すれば数時間。場合によっては数晩寝かせる。ワインの様に熟成するわけではないが、見直して手直しすることもある。書いている時の感情が強すぎたりすると少しばかり恥ずかしく思える事もある。

書いた文章はある意味自分の子供だと思うようになった。自分の書き物の題材は我が心の中身。単純そうな禿げ頭の中身でもこれが実に複雑に出来ているようで簡単にはいかない。プローブを色々あてて心のページを引き出してくる。そのプローブは登山であり、サイクリングであり、音楽であり、散歩の風景であり、友であり家族である・・。どんなきっかけでもいい。何かに気づき思うならばあとは頭の中でそれを膨らませていく。そんな過程を経るので簡単にできる時もあれば苦しむ時もある。自分は出産の苦しみを知らないが何か一つ書くとほっとする。安産でも難産でもある。子供と書いた所以だ。

そんな子供たちが実は不安定な存在だ、と気づいた。彼らはクラウドに保管されている。ブログ会社のサーバーだった。下書きのテキストファイルは手元に残しているが、ブログの記事としてはクラウドにしかない。サーバーのダウンなど何かの拍子で彼らが居なくなるのではないか?と不安に陥った。

そこで二年半の投稿のバックアップを試み始めた。ブログ会社のツールでもHTML形式で保管できるようだがテキストデータとレイアウトが残ればよいと考えた。簡単な方法は酷く原始的でページそのものをPDFで保存するだけだった。ファイル名は投稿日を頭に冠した。ブログタイトルだけでは中身を覚えていないものはがあるが保存されれば十分だ。

これがなかなか手間のかかる地味な仕事だった。毎朝一時間だけその作業に費やそうと決めた。PCのHDDは数台ミラーリングをしているので保存すれば安心だ。単調で気が遠くなる作業ではあるが一つだけ良い事があった。過去の自分が何を考えていたのか。何が言いたかったのか。そんな発見をする事だった。作業を通じて気づいた。文章の書き方が変わってきている。初めは口語体の投稿もあった。何故だろう。ブログを書き始めたきっかけは病だった。闘病記録を残して同じ病に悩む方の参考になれば、と思ったのだった。すると口語体が読み手にスッと入ると思ったのか。しかし心の中身、その風景はしっかりと残したい。いつしか口語体は消えてしまった。

バルセロナサグラダ・ファミリアアントニオ・ガウディが設計した聖家族教会は完成まで数百年といい未だ建築中だ。観光や仕事で当地を訪れ何度か見たがいつもクレーンが入り高所作業をしていた。いつ終わるとも知れない単調な工事に携わる人々のモチベーションはあるのだろうか。果て無き作業はつまらない。がそこに意義を持ち込んでみる。イエス・キリストの教えを世の人々に広く伝えるための作業なのだ、人類最高の建築物を造ることに参画するのだ、と考える事によって作業は無益な連続性を脱して有意義なものとなる。・・・人間はテーマと意義に気づけば高次にいける。それは会社員時代に経営学の講義で教わった事だった。チームワーク・組織論の題材だった。

単純な作業の中にも意味がある。そう思うと自分の過去の書き物を淡々と保存していく事にリスクヘッジ以外の意味を見出す。過去の書き物を見る事は良い振り返りになる。それは自分の成長につながる。今の自分が当時とは変わっていることがわかり、これからも変わっていくことが意識できる、と。

少なくともサグラダ・ファミリアの完成より先に作業を終えたいと思う。

バルセロナ市街地にそびえるサグラダ・ファミリア。十九世紀末に工事が始まったアントニオ・ガウディの教会は二十一世紀の今も工事が進んでいる。果て無き工事もその意義を知れば崇高な作業になるのだろう。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村