日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

縮んだ海馬

自分の脳の画像などなかなか見る機会はない。幸か不幸か脳腫瘍になったおかげで摘出前と摘出後から今日まで、病院には自分の脳のCT画像が時系列に保存されている。何時まで経っても取れないふらつき感。疲労は何だろう。神経内科の医師に脳の画像を見てもらった。

「随分と大きな腫瘍があったのですね。取った後は潰瘍のようでしたが今は空洞になっていますね。これだけ取ればふらつきも致し方ないでしょう。」

そんなコメントを頂いた。妻が脳外科医から聞いた話では3x4センチ程度の腫瘍だったという。小ぶりな鶏卵サイズだろう。それがすっぽりと頭の中から消えたのだから正常を維持するのも難しいと納得した。脳を摘出したお陰か自分の右側頭部はクレーターのように窪んでいる。横になれば水でも溜まりそうだ。それも個性だ、と思う事にしている。しかし次の言葉は刺さった。

右の海馬が少し縮小していますね。認知力・短期記憶に影響があるでしょう

医師とは残酷である。豊富な専門知識は必ずしも人間を幸せにはしない。しかし真実を知りたいという自分の気持ちも又、輪に欠けて残酷なものだった。幾つもの質問をしてしまう。

目や耳からの短期的な記憶は海馬にとどまる。しかしそれは直ぐに消える性質という。海馬の記憶は何度も使う事でやがて大脳皮質へ送られ長期的に保存されるという、そんなメカニズムらしい。「おお、まるでPCのようですね。作業用のメモリーが海馬で、データ保存用のハードディスクが大脳ですね。」というと医師は笑った。

思い当たる節どころか、確信があった。脳腫瘍の元となった悪性リンパ腫を退治するために13回、合計23.4グレイの放射線を脳に浴びせたのだから当たり前の事だった。認知力低下は合意の上の治療だった。グレイとは馴染みのない単位だが7から10グレイの放射線が一度にあたると人は死ぬという。1回あたり1.8グレイの放射を13回積み重ねた。のるかそるかの治療だったのだろう。

確かに短期的な記憶力が落ちてきている。昔の事はやたらとよく覚えている。親の介護を通じて出会った様々な人の名前など一部を除いて覚えられない。こうしてだんだんとその傾向は顕著になり、いずれは「恍惚の人」になるのだろう。そんな敷かれたレールが見える。しかし治療に関してはベストの選択をしたはずだった。後悔はない。

記憶が落ちてもいいではないか。自分の脳みそを、PCのメモリーとハードディスクだ、と笑いとばしてしまえば楽になる。左右の海馬の大きさが違っても僕は生きている。縮んだ海馬も自分だ。それで十分だと思う事にしている。何が起きるかなど、先の事は何もわからない。

病の後、明らかに自分は今だけを考える「短期的な享楽主義者」になった。それで良い。ただし楽観主義者にはなれていない。だからこそ悪い考えは大脳皮質に送り込まずに海馬にとどめておきたい。いずれ消えるだろうから。

 

CT画像が並ぶ。腫瘍は無くなりむくみとなり、今は空洞になっている。海馬もまた影響を受けた。それも、自分。