日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

迷走

ここの所苦戦している。堅苦しく窮屈なのは何事も思った通り事が進まないからだった。鶏が先か卵が先か、ブログに挙げる原稿の話もうまくいかない。ネタが溢れている訳もない。それは部屋の中で座っていると浮かぶという質のものではない。妻と話をする中で、朝晩の散歩の中で、しがないパートの職場にて、時を忘れて趣味を楽しむ時に、友と笑う中で。そんな時にふとある思いが芽吹くのだった。それを頭の中で彩色していく。ネタが浮かばないのは家に籠りきりなのか、それとも感性の枯渇か。ブログは自分にとっては筆慣らしであり、本当にやりたいことは別にあるがこの調子ならそれなど遥かに遠い世界に思える。

自分の頭は以前より物事を深くロジカルに考えることが出来ない。もともとできなかった事に加え今はお疲れ気味で輪をかけている。脳に悪性腫瘍ができそれを取り除いてからはますます脳が縮んだように思う。神経内科医院で自分の半年前の脳の画像を見てもらった。医師は「右の海馬」の縮小を告げた。海馬の役割についてネットではこうある。「海馬はタツノオトシゴのような形をしている。 日常的な出来事や、勉強して覚えた情報は、海馬の中で一度ファイルされて整理整頓され、その後、大脳皮質にためられていく」。すぐには良くわからないが、短期記憶や学習結果を大脳の中に仕分けて貯める役割なのだろうと理解している。

自分が摘出した脳腫瘍は右側頭部だった。治療の詰めでそこに放射線を浴びせた。13回に分けて23グレイ照射した。一度に10グレイの放射線を浴びるとヒトは致死する。認知力低下のリスクを承知のそんな治療だった。抗癌剤にも耐えた頭髪はたまらずにすべて抜けた。脱帽だった。そんな脳の中、右の海馬が委縮しても何の不思議もない。

体調悪化で物理的にPCに向かう事が出来なくなるか、メンタルの波の狭間に落ちて気力を失うか、そうでもない限りなにかは書き続けたい。それは自分自身の生きている証だから、と思うが何も書くべき話が湧かなければ仕方がないのだった。すでに狭間に落ちているという事だ。

ほら、ちょっとでもいいから生み出すんだ。地面に落ちている葉っぱで何かを考える。葉っぱの身になって想像する。風の音を聞く。何故吹くのか。今朝起きて今まで何をしたか、そこのシーンの一つでも切り出して膨らませられぬか。何か一つは思う事があっただろう・・。

なんだか鞭で叩かれる馬の様に感じた。サラブレッドではなく草競馬の農耕馬だった。行先も何もないのだから叩かれても迷走するだけだった。少し止めよう。楽しみのはずが辛いとは。もういい、何もかも忘れるのだ。森のカフェにでも行きエスプレッソをダブルで、いや、ミルクを多めに入れたコーヒーでも頂こう。大きく空気を吸って空を見よう。その時だろう、なにかが来るとしたら。

暖かいコーヒーにミルクを入れ空を見よう。何を慌てているのだろう・・。森の空気を感ずれば、何かが来るだろう。ただそれを待てばよい。

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