日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

門下生

毎月通うクリニック、予定の採血を終えた。これで来週にその結果がわかる。可溶性インターロイキン2R。悪性リンパ腫のマーカーだ。敷居値内であること、値に大きな動きがないことを見ている。この二年間、値は安定してくれていた。少なくともあと三年。大人しくしてほしい。毎月審判を仰ぐ気持ちだ。

会計を待っていると隣の席の男性に目がいった。自分より十歳、いやもう少し年上だろう。彼はある紙を手にしていた。自分も何度見たがわからぬ画像を印刷したものだった。

脳のCT画像だった。それを彼は手にとっては幾度も天井を見上げていた。思わず話しかけてしまった。「自分もそれを手にして天を仰ぎましたよ」と。悪性リンパ腫で脳腫瘍になり、半年の入院を経たという。急性期と治療期は脱したのでこれからはクリニックで定期的な様子見で今日がその初日という話だった。自分と同じ病を口にした。

「同じ病ですね。なんとかここまで来ましたね。大変でしたよね」

そう話しかけたのは脳腫瘍摘出に始まり抗がん剤放射線という一連の治療の苦しみが分かるからだった。会計までの短い時間、彼は話したいことが山ほどあったのだろう。話は終わらなかった。入院先では自分と同じドクターにかかったということだった。誠実だったドクターはとても信頼がおけた。医療において大切な事は医療スタッフへの信頼だと知った半年だった。治療終了時に彼が眼鏡越しに話してくれた「想定される今後の五年間の生存率」について、当然彼も説明を受けたのだろう。

リンパ腫の形は多い。自分と全く同一かも分からない。自分の想定生存率と彼のそれを比較しても意味が無かった。言えるのは長い治療に耐えたという事、そしてこれから時折顔を出す、いや心の底に居座ってしまった不安。そんな少し厄介な自分の気持ちとの戦いが待っているという事だった。共通しているのはもう二度とあの治療を受けたくないという気持ちだった。しかしこれも言えるのだった。たとえ前向きでなくとも心次第で充実した生活はできると。

「もうその画像は年に一回撮るだけになりますよ。何故なら病はもう来ませんから。」と言いたかった。しかし同じ想いを持つもの同士にはそれ以上の会話も不要だった。彼のエールは自分に届いたし、自分の応援も彼に届いただろう。二人とも同じドクターの下で苦しい時を過ごした。時期は違えど彼と僕は門下生だった。

会計を終えクリニックのビルを出た。夏の日がぎらぎらと反射していた。「経過観察のここのクリニックのドクターも信頼がおけますよ。ゆっくりやっていきましょう。」そう僕は門下生に向けて心のなかで話しかけた。

ガン病棟からは窓越しに遠く見るだけだった。その後二回、間近で見る事が出来た。まだまだ見ることだろう、春を告げる梅の花

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