そのお寺は広くはないが多くの市民で溢れている。ホテルから地図を片手に適当に散歩する。とある路地に迷い込んだ。幅2メートルか。長さは数百メートルありそうだ。ビルの狭間の通りはウナギの寝床だった。一間取り二メートル程度の店舗だ。そこにはさばいたばかりの鶏や取れたての魚、魚肉団子、野菜、安い衣料、色々ならんでいた。現地人の台所だった。大型スーパーもコンビニエンスストアもあるのにやはり庶民はこんな通りが好きなのだろう。上野のアメ横をずっと凝縮して長く伸ばした、そんな雰囲気だった。そこに買い物客は絶えない。旺盛な食への力は生きる力だと思った。
通りを抜けたら目指す寺は近かった。龍山寺はタイペイ市内で最も有名なお寺の一つだろうか。寺の前は広場になっていた。もう少し早くここへ来たら太極拳をする市民が見られただろう、寝坊を僕たちは後悔した。
廟は市民のよりどころだと思った。仏さまを前に手を合わせ首を垂れるのは日本人ならば誰に教わる事もなくそうするだろう。生まれた時から組み込まれている所作、日本人のDNAだろう。インドで生まれた仏教は中国から朝鮮を経て日本に来た。韓国のお寺でもだれもが手を合わせお辞儀をしていた。
廟は赤く塗られ、渋さを良しとする日本の寺院とは雰囲気が異なる。線香を立て誰もが深く祈っている。それも日本人の様にあっさりとではなく、跪いて手を合わせ何度も何度も腰から体を折って祈るのだ。折れば折るほど彼らの願いは通じるのだろうか。そういえば日本人にもあるではないか。お百度参りだ。多分同じ発想だと思う。
自分達もにわか台湾人になった。しかし不慣れなのでやはり日本風が抜けずひざまづくのには躊躇があった。僕は家族の健康を祈った。妻は何を祈ったのだろう。遠慮して腰を折ったのは数度だった。閻魔様さまは見抜くのだろうか、こいつらには信心が足りない、畜生道に落とすか、と。慌てて立ち上がってからもう一度深々とお辞儀をした。
十二月というのに陽射しが暑かった。お寺の一角だけ空気が異質だった。僕たちは上着を脱いだ。バイクが目の前を通り過ぎ雑踏があった。信仰と日常の間が分明でなかった。仏さま、いや何かを信じる心。これも生きる力だと思った。
力そして希望を得る二つの鍵があった。食べる事、そして信じる事。旅行に求めるものは非日常だ。しかしそれ以上の事を得た。良い旅行だったねと話をした。