日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

罪作りな器たち

中華鍋の把手にはタオルでも巻き付けられている。そこを握り鍋を揺らす。もう一つの手は玉杓子を踊らせる。この時の音を形容するならカラコンカラコンとなる。米は宙を舞い鍋に着地する。ウルトラCだろう。オヤジの鍋杓子使いは神業か。最後に中華鍋をもう一度煽って玉杓子ですくい皿に裏返し。器にこんもりと盛り上がったさまは前方後円墳の後塚を思わせる。

無駄のない動きはいつも見惚れる。大鍋で麺を茹でながら同時に丼にかえしを入れてスープを注ぐ。マルチタスクだ。平ザルを器用に使い大鍋の麺は掬い上げられる。ここからもまた神業だ。魔法の腕さばきは平ザルの上の麺を踊らせ、それは一つの美しい形に纏まりスープの中に流し込まれる。麺をほぐすようにスープに馴染ませ形を整える。目にも止まらぬ速さでかつ美しく具を盛る。

昼下がりのラーメン屋。チャーハンとラーメン。美味しいものが二つ目の前にあるとする。ある程度腹は減っている。するとどちらも頼んでしまう。今日は普段より散歩したしまあいいか。匂いにつられた自分はそう自己弁護をしのれんをくぐる。

果たしてこれは肝計なのだろうか、ラーメンとチャーハンがセットになったメニュー。

悪だくみでは?と書いたのは体にはどう考えても良くないだろうから。ガン病棟で過ごしていた時に栄養士さんのお話を聞く機会があった。タンパク質と根菜や緑黄色野菜、そして炭水化物。この三者をバランスよく摂ることの大切さをコンコンと説明して頂いた。ガンになる前には自分は糖質ダイエットを試みていた。炭水化物はその意味で邪悪な存在だった。しかし栄養士はそれを否定した。どれが欠けてもいけない。バランスよく食べて下さいということだった。

ラーメンとチャーハンが目の前にある。とても美味そうだ。かたや、脂の浮いたしょっぱいスープに縮れた細麺、僅かなネギ、メンマ、チャーシュ、運が良ければナルト。こなた、盛りだくさんのコメ。僅かなチャーシュー、ネギ、卵。そしてすべてを包み込むテラテラと光る油。

はて先程の三つのバランスはどうなのだろう。明らかに炭水化物過多。塩分も然りだ。これでは血圧は上がり動脈はコレステロールで狭まるだろう。しかし人間は必ずしも理性で動いているわけでもない。時として欲望はそれを容易に打破する。

悪魔の計らいは自分を満たした。ラーメンの器はスープをわずかに残したが許してほしい。塩分が気になるのだ。空になったチャーハンの器の底面が天井の照明を反射するのは脂の付着だった。罪作りな器たちだった。確実に体には幾ばくかのダメージが溜まっただろう。しかしそこには背徳の歓びがあった。禁を犯すと胸が踊る。僕たちは聖者でもない。罪作りに負ける。たまにはそんな日もあってよいのではないかと、布袋様のようになった腹をさすりながら思う。しかし昼下がりのラーメン屋には近づくのはやめておこう、とこれまたすぐに破るだろう誓いを口にした。

誘惑の器たちは罪作り。しかし時々禁を破る。それもありだろう。

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