日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

リトマス試験紙 かづ屋・目黒

コロナ禍で懐かしいものを思い出した。罹患の疑義ありで受けた抗原抗体検査。鼻の穴でグリグリと細い麺棒を回す。そして薬液につけて試験紙に垂らす。色が付いたら陽性。

懐かしいな。これはリトマス試験紙みたいだな。

そうそう、酸性中性アルカリ性。試験紙の色変化でそれがわかる。小学校の理科の授業だったか。化学屋さんでもない限り授業以外には触れないだろう。自分も忘れていた。

ラーメン、というか、昔ながらの支那そばが好きで食べ歩く。まずは一心不乱に取り掛かっている親父さんの顔と所作に、そして芳しい湯気に、麺に、スープに、具に対して、それぞれ感想を持つ。おおイケるな。流石だな。これこれ。イマイチ。ウ~ン残念…。

もちろんパーツ偏愛主義ではない。総合芸術とも言えそうな、丼に入った「小さな大宇宙」が好きなのだ。

感想は自分の中の判断の軸からの逸脱具合に依るのだろう。そう「ラーメンのリトマス試験紙」をラーメンマニア達は皆さん持っているのだ。

いつの間にか、自分にとってのリトマス紙を担っている店は三軒に絞られている。地方にもリストしたい店は多いが、気軽に行くわけにもいかない。

標準は一つだけでしょ。いや、グリニッジもあれば明石もあるでしょ。三つでも良いでしょ、と都合よく考える。

都下目黒区。かつては職場もそこにあった。何気に好きな店も多い。リトマス紙の一つのこの店は山手通り沿いにある。わずか数十メートルだが、場所が変わったりもしている。五反田に支店を出していた時期もある。

会社のお昼休みは45分。限られた時間。この店で確実に「頂く」ためにタクシーを利用したことも多かった。職場から片道徒歩15分も惜しかったのだろう。先輩や女子社員も帯同して頂いた。今思えば凄いエネルギーだ。それほど求心力が大きかったのだろう。

今でも時折出かける。リトマス紙は校正が必要だからね、そう言っている。

親父さんの無駄のない動きとスタッフ間の連携。平ざるで湯を切る上下運動。そのストロークは正確で、麺は魔法のようにみるみる綺麗にまとまる。よってザルから器に流れ込む麺は白糸の滝の様に美しい。が、そこで終わることなく麺を菜箸でくるりと揃える。見た目と、スープへの馴染ませだ。やはり総合芸術だ、と、血圧は上がりっぱなしだ。

全ては時間勝負。乾燥をふせぐためにか毎回切り分けるチャーシューも既に並行作業で切ってある。

見事な「小さな大宇宙」を目の前にして、こちらもすべてのスイッチが入った。個々のスイッチは店に入った時点でオンだが、最後のデカい遮断スイッチは丼を前にしないと下りない。

宇宙を味わうと、自分は宇宙に従属するただの宇宙市民と気づく。

一杯のラーメンが、リトマス紙?総合芸術?宇宙?宇宙市民?全く馬鹿馬鹿しいが、マニアとはそんなものだろうと我ながら苦笑している。

 

両手で抱えるこの器。五感を刺激するリトマス紙。ワンタンメンも素晴らしい逸品。麺を平らげてからは調味料と共に置かれている「揚げネギ」を加えると、あらら「宇宙」は爆発し、ブラックホールになる。それも良しだ。