日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

名物親父の味

人気のある店には必ずと言っていい程名物親父がいる。ラーメン屋の話だ。

ある店の親父は、痩せているが精悍で、注文と同時にグラグラ揺れる大鍋に麺をほぐして投入し、踊るように平ザルで湯切りをして片手間で作っていたドンブリにさっと無駄なく麺を投入する。姉弟と思われる女性が綺麗に仕上がったドンブリをテーブルに置くまでのタイムラグは殆どないのだ。

ある店の親父は、こちらも痩せぎすでほぼ禿頭。ねじり鉢巻き。風船の蛸のような頭と言って差し支えない。こちらは縦型の「テポ」ざるを使うが、二つのテポを大きく振って同時に二つのドンブリに入れていく。グラグラ言う茹で鍋の前で、彼もすっかり茹で上がり赤い顔だ。テポ茹での麺は粘りやすい、そんな気がするが彼の「振り」は強くたちどころに懸念を払拭する。心配ご無用、とても美味しい麺が供される。

ある店の親父は若いイケメン。ここも大鍋に平ザルだ。一緒に組んでいる奥様と思しき女性とのコンビネーションが素晴らしい。それは、餅つきの打ち手とこね手の関係というとわかりやすい。と言っても仕事ぶりは雑ではなく、まるでお茶をたてるかのように器を仕上げる。

どの店も「無駄のない動き、流れる所作」。余り話が好きそうではない上にむしろ偏屈な感じを漂わす親父もいる。それが行きすぎてまるで「道場」のような緊張感を漂わす店もかつてはあった。いずれにせよ彼がいないとラーメンは出来ない。その点に於いて親父さんはラーメン屋の名物だろう。この店のラーメンを食べよう、と思ったら自分はラーメンもさることながら、まず、親父さんの顔とその一連の所作が思い出されるのだった。自分はもしかしたらラーメンよりも親父さんが好きなのかもしれなかった。

* * *

自分がその店に初めて行った時は、店の親父さんは狭い厨房の中の司令塔になっていて、顔のよく似た若いお兄さんが実際に麺を作っているのだった。やや丸型の体形で、しわの多い顔立ちは、柔和な印象を与えてくれた。そんな親父さんは客から複数の注文を一気に取り、作り手に短い符丁を投げる。中途で彼は麺の茹で加減を確認する。時折器にそそがれたスープを小さじですくい味を見る。

彼が会計を間違えたことはない。誰が何を頼んだか、全ては頭に入っているからだった。それほどの頻度で通ったわけではないが、小さな二人の子供を連れて来店するのが珍しいのか、いつしか親父さんは自分たち家族を覚えてくれたようで店を出る時には笑顔を返してくれるのだった。

しかし自分はその肝心の親父さんの作るラーメンを食べたことは一度もない。この店のラーメンは彼が「監修」してはいるが作ってはいなかった。もう数年早く通い始めたら親父さんのラーメンに触れることも出来たかもしれない。

代わりに厨房に立っている若いお兄さんは間違えなく親父さんの息子だった。体つきは違うが、二人が並ぶと一目瞭然なのだ。時折、普段は洗い場と盛り付けをやっている痩せた男性が作っていることもある。二人の作った味は微妙に異なる。それが分かるようになるまでは少し時間がかかった。

「味の伝承」・・・まさに自分が初めて行った頃はそんな時期だったのだろう。父から息子へ。そしてサブの作り手へ。

若親父候補はしかし、麺を作りながらも時折店の向こうの通りを眺めているのだった。「あぁ俺、親父の後を継いでラーメン屋をやっていくのかな・・」そう勝手に思わせるような、少し遠い表情だった。自分と同じくらいの年齢だろう。何も考えずにサラリーマンを選んだ自分とは違い、彼には何かやりたいことがあったのかも、いや、探していたのかもしれなかった。

時は経ち、親父さんを厨房で見かけることは殆どなくなった。耳で注文を取り手書きの伝票を書いていた頃とは異なりいつしか券売機が導入された。若親父はもう遠くを見ることもなく、目には職人の精悍さがあり、麺の湯切りで鍛えられたのか、腕っぷしは太く頼もしい。さっさと平ザルを振ると茹で上がった麺はその上でくるりときれいに丸くなり、ドンブリに流れ込む。魔法を見ているようだった。そう、「若親父候補」から若の字も候補の字も取れていた。正統派醤油ラーメン・昔ながらの支那ソバと呼ぶのが相応しいが、一時やや豚骨系に味が変わった。しかしまた従来の味に戻る。新しい親父さんはいろいろ試みるのだった。

ある日近所の量販店で買い物をしていると、ばったりと親父さんに出会った。反射的に挨拶をすると彼はすぐに自分をわかってくれた。さすがに客商売は違う。家族とともに歩く親父さんは店での寡黙な表情とは異なりこれまた彼のお父様の様に柔和な顔であり父親だった。

その後何度か家内とラーメンを食べに行くと、目で軽い挨拶をしてくれ、時折トッピングをつけてくれたりするのだった。嬉しいがこれも気が少し重い。家内と、どうしようか、と話す。そこで次の訪問時には近所で美味しい「お団子」を包んでもらい、食後に手渡すことが出来た。忙しそうな親父さんは軽く会釈し再び茹で鍋に向かう。

その時、懐かしい元親父さんが店の奥から出てきた。随分とお年を召された感じだった。息子の手際と混んだ店内を見て、よしよし、と柔らかくうなずいて狭い店内から外に出るのだった。お父さん、「伝承は成功したね」。名物親父の味は、しっかり引き継がれて、若くなった名物親父の手で今もそれを食べる人を幸せにしてくれていますよ。この店の名前を聞けば、誰もが彼の事を押しも押されぬ「寡黙ながらも腕のいい名物親父」、として思い浮かべるに違いない。

さて、また次いつ行こうかね、「名物親父の味」を堪能するのか、名物親父に会うのか。今度はどんなお団子にしようか・・。そんな話を家内として、店を後にした。

 

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