日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

出来ないはずはない

思い込みとは曲者だと思う。そんな事出来っこないよと思ったらそれはなかなか出来ない。思った時点で挑戦しようと思わないのだから結果も出るわけはない。

そんな事は自分にもある。一日の行程で標高差1000メートルを超える登山だ。地図を広げると、これ、登れるかなと不安になる。しかし自分の足で1000メートの標高差を稼いでみると目に触れる風景も体を包む空気も全く違う次元であることを知るだろう。森の聖母・ブナの木は海抜1000メートル辺りからお目にかかれる。更に登ればダケカンバに出会えるだろう。すると次はオオシラビソでありハイマツになるだろう。そのころ森林限界はとうに越えていて、凡そこの世とは思えない光景が待っている。空に近づくのだ。その変化が素晴らしいし、それを作り出したのは我が足だ。自分で高みを目指すとは左様に素晴らしい。

山歩きを始めた頃は標高差はあまり意識せずに登っていた。家から見える丹沢。その表玄関とも言える大倉尾根の標高差は1200メートル、バカバカしいほど坂が続くので岳人の間では「バカ尾根」と半ば愛着を込めて呼ばれている。何度登ったか覚えていないが正直いつも辛かった。

個人差はあるだろうが自分の場合はこのあたりが出来る出来ないの境かもしれない。癌から復帰して自分の体が術前とはバランス感覚も体力も異なっていると知ったとき、標高差1000メートルは絶対的な壁として目の前に立ちはだかった。物理的と言うより気持ちの問題だった。それを打ち破ろうといくつかの山に挑戦した。

丹沢、そして伯耆大山。丹沢は表と裏から入っても標高差1200mは不可避だ。伯耆大山は標高差1000メートルを僅かに切っているが登山開始地点の海抜と山頂の差を単純に見ているだけで実際には小さな高低が出てくる。いずれにせよ自分には厳しい。こうやって実は日常に戻ってからも1000m越えをトライしているのだった。しかしいつも尻込みしてしまう。

もう少し実績を重ねればよいのだろうか。数日前から考え、荷物を軽量化して思い立ってトライしてみた。標高差1050mの壁だった。

鉄道の駅からすぐに登山道だった。いくつもの登山ルートが在る。尾根道。稜線直下をトラバースするルート、さらに下の中腹をトラバースするもの。どうあがいても山麓と山頂の標高は変わらない。ただ地形図を見ていちばんアップダウンの少ないルートを選んだ。海抜900メートルあたりまで杉と檜の混成林が続く。高低差の少ないルートは距離が長い。山の斜面をトラバースするので、幾つもの沢の源頭を横切る。そこはたいてい荒れているし小さく不安定な木橋が掛かっていることが多い。少しだけ緊張する。

トラバースルートと尾根ルートが合致する地点があった。このあたりから霧が濃くなった。曇天の予報だったのだが実際はこれだった。山頂までは再びここで分岐するが、今度は尾根ルートを選んだ。歩き易いトラバースルートで標高をそれなりに稼いだので「何だ、出来るではないか」という自信が少し湧いてきたのだった。「鋸尾根」と書かれた看板に少したじろいたが登山地図では実線だったので踏み出した。しかしそれは誤算だった。余り歩かれていないルートで踏み跡は明瞭でなく、なによりも木の根と岩が露出する登りだった。ロープや鎖でも欲しいような箇所が続く。振り返るととそこはスパンと何もなく眩暈が起きたらスーッともって行かれそうになってしまう。ドキドキと心臓は口から出そうだ。ようやく踏み跡を見つけてもそれはすぐに岩場に消えていく。巻道ルートを往くべきだった、という後悔のみが多かった。切り立った岩場から下は霧に包まれて遠望が利かないのが幸いだった。

緊張した尾根ルートを降りると巻道ルートが合流してきた。標高を上げるといつしか霧からブナが浮かび上がり高さを稼いだことを知った。

幾つもの登山ルートが在る山頂には数十人の人が休んでおり、緊張を持ったまま登りついた自分はなんだか力が霧の向こうに飛び出してしまった。ここはこの地域では唯一登り残していたメジャーなピークでそんな宿題の頂が今我が手中に在ることに満足した。ともあれ「1000mの壁」を超える事が出来た。余り不安がる必要もなかった。出来ないはずはないのだ。登れっこないよ、という思いは不要だった。

常に危険と隣り合わせなので慎重にあるに越したことはない。しかし心の壁の高さなら少し上げて、1000mは不安に思わなくともいい。もう充分でしょう。思い込みは卒業だ。そんな事を考えながらザックを背負った。

霧の中に沈むブナ林に会えた。自分の足で1000mの壁を越えたご褒美と言えた。何と素敵な話だろう。

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