日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

雨の匂い

最寄りの駅まで所用で出かけた。会社員の頃は通勤定期がありバスに乗って5,6分だった。しかし退職しそれが無くなると駅は少し遠くなった。駅周辺に用事がある時は車を使うが鉄道利用時は歩くことにした。約20分でも歩くとバスでは気づかなかった風景が見える。もう30年以上住んでいる町なのに発見が多い。丘陵地なので日の差し方や気温による空気の流れで今日見る風景は昨日見た光景とは違う。また時折同じ個所を見ているとこれも時の流れを感じさせる。ある建物はなくなり整地されそこに基礎工事が入ったと思ったら、もう天井に梁がはいり上棟している。毎日が異なり、それが積み重なると大きく変化する。日常は小さなことの積み重ね、と知る。

駅まで出てその向こうに足を進めたのは市の図書館に向かうためだった。近所の公民館図書室にはなさそうな蔵書を探していたのだった。そこには昔から高層住宅が建っていた。賃貸か分譲かも気に留めなかったが今日は外国人が多いな、と直ぐに感じた。チャドルを纏う女性。サリーを着た女性が行きかうのだった。トピを頭に載せた男性が入れ違う様に出てきた。その高層住宅の看板には「保証人不要・敷金礼金無・すぐ入居可」とあった。昔の住宅都市公団、いまはURと言われている、その建物だった。そのような条件ならば外国人の入居も容易だろう。肯けたのだった。イスラム圏から東アジアからそしてネパールから、極彩色だった。

娘たちが小さい頃はよくここに来た。小さな公園があったのだ。しかし今の風景は当時とは少し異なっていた。彼女たちは幾人かグループになり、公園内と広い敷地内で談笑していた。その足元で子供たちが嬉しそうにまとわりつくように遊んでいる。親子の風景は万国共通だった。普段ならば「こんにちは。何処の国からですか?日本は快適ですか」あたりは話しかけたことだろう。しかし今日は閉館時間も迫っており焦っていた。

子供達の弾むような笑顔と、お母様方が談笑をしながらゆっくりと建物に入っていく様は、とても心温まるものだった。幸せな日常を送っているであろう彼らに自分が話しかけようとしていた質問にはあまり意味が無いのだと気付いた。自分がドイツやフランスに住んでいた頃、住人から面と向かって「ヤパーニッシュ?」や「ジャポネ?」と言われただろうか。胸を張ってそうだと答えたかもしれぬが詮索されているようであまり良い気持もしなかった。大きな集合住宅で国籍も宗教も違う家族が隣あう。夕餉の時間は様々なスパイスの匂いが流れるのだろう。もちろんお馴染みの出汁と醤油のにおいもそこに混じる。集合賃貸住宅でも町内会と言う外国人には理解しがたいムラ社会があるだろう。さまざまなしきたりの中で苦労されているのではないか。自分はただ彼らと話をして、楽しい生活を送っていると知ることが嬉しいだけなのだが、彼らにそんな善意なる好奇心が簡単に通じるわけでもないだろう。しかし僕はいつも、出来る限り笑顔で接するようにしている。

雨の匂いが空気の中をゆっくりと占めてきた。それは上からやってくる。この匂いをずっと好きだったことに改めて気づいた。空気に密度があるのなら、かぎりなくそれは濃いものだった。この香りがあれば路面が濡れるのは時間の問題だった。

図書館を出たら雨足が強かった。トルコ料理と書かれたケバブの屋台をヒシャブで頭を覆った女将さんが慌てて片付けていた。その横をお母さんが後ろに子供を載せた自転車で走ってきて赤信号で停止した。数秒考えて話しかけた。「お子さんにヘルメット買われたほうがいいですよ」と。首にかけたロザリオが雨に濡れていた。フィリピンの女性だと思った。以前日本人のお母さんに同じように話しかけたら無視されたこともあった。彼女は笑い「ソウデスネ。アリガト」と返事があった。笑顔でサヨナラと言い交し自転車は去って行った。

雨は本降りになってもうあの素敵な湿った匂いはしなかった。様々な国籍の人達が持つ香りもすべてが雨に流れて同一化していくのだった。大きく吸い込んだ雨混じりの空気は、美味しかった。

いつか自分の住む街も多国籍の香りがしていた。とても嬉しい思いがする。夕方から強くなった雨に匂いは飛んでしまったが、心地よさが体を包んだのは何故だろう。

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