日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅16 香川県の民話

香川県の民話 (日本児童文学者協会偕成社・1985年)

自分の出身地は香川県。育ちの多くは神奈川県になるが、出身は?と聞かれると胸を張って香川と答える。小さな県だが地理学的には東讃、中讃、西讃に分かれるようだ。東から高松。坂出・丸亀・善通寺仲多度郡。観音寺に三豊。東から西へそんな分け方になる。自分の生まれは東讃の高松になるが、父は西讃、母は中讃が生地。そんな自分の馴染は母方の祖父祖母叔父が住んでいた中讃になる。温暖な気候と小島が長閑に瀬戸内海に浮かび、平地は平地でため池と気まぐれな台地の隆起と思わせるような小さな山がいくつもある。箱庭のような風景がとても好きだ。その平和な眺めは自分の原風景と言えた。故郷を悪く言う人はいない。自分は年齢を経る毎に香川の風景が懐かしく愛おしく思えて仕方がない。

図書館で見つけた県別の民話。47都道府県が揃っているわけではなかったが香川があったので手に取った。

民話とは民間伝承だろう。語り部が居て村の衆に話し聞かせたのか、それがいつしか民衆の間で語り継がれるようになったのか。父母からそんな民話を聞かされた記憶はない。祖母からはどうだろう。「海によおけ海賊がおってな、こわいこわいと言われとったんや」、「あの山の銅像はな、港から戦争に行く息子を見送ってな。何度も何度な。そして銅像になったんで」 そんな程度の話しか記憶にはない。民話でもないかもしれない。前者はきっと中世に瀬戸内海で勢力を誇った海賊・村上水軍に関係している話なのだろう。後者は多度津と言う小さな港町の公園に上がれば謂れが分かる。日露戦争に出征する息子を十里の夜道を歩き続けて高台に立って見送った母の話だ。

書を開いてみると香川は広くそれぞれの地に伝わる民話が在った。地理で学ぶように讃岐は昔から雨が降らない場所で、ため池が多い。ため池は讃岐の国にしてみれば農業や生活用水として大切なもの。満濃池のように大きなものから小さなものまで、ちょろちょろ流れ出る石清水にも、なんらかの民話がかかわっていた。満濃池には竜神様が居たとある。吉備の国の話である「桃太郎」と同様な話もあった。悪い島の鬼退治。それは瀬戸内海の話だ。これは祖母の村上水軍の話に通じるかもしれない。その鬼の亡骸を埋めた場所が鬼無という高松の西に在る集落の名の謂れだった。その地を知る自分は唸った。そして金毘羅さん詣でをしたいという庶民の願いから出来たと思われる民話もあった。郷土の祭りのルーツも民話であれば散らばる神社にも何らかの民話があるのだった。動物の恩返しもありそれは地名などに残されているようだった。

民話にはえてして訓戒的なニュアンスを感じる。しかし悪事をすれば戒めがある、という話は余りなく、哀しい話もあるがおどけた話もあった。巻頭に書かれていた。「香川県は瀬戸内海に面し気候も良く食べ物は豊かときているので県民は心優しく働き者。ですから民話にもゆったりとしたおどけた話が多いようです」と。

この言葉は自分勝手で短気な自分には該当しない。しかしもう鬼籍に入った香川の叔父。その彼の奥様つまり義理の叔母の話す心地よい香川弁が頭に浮かんだ。たしかにゆったりとしている、叔母が話す言葉は花びらのように柔らかく、どこかに瀬戸内海のうしおの香りもあった。

香川、良いな。とても好きだ。瀬戸内海の風景も潮風も懐かしい。香川は近くはない。行きたくともそうは行けぬ。せいぜい懐かしき中讃は丸亀市の名前を冠した全国展開の神戸のうどん屋さんの暖簾をくぐるだけだろう。店内には我が心の富士・讃岐富士(飯野山)の写真があり、たちどころに彼の地へ飛んでいけるのだから。

遠い地に行く事も少なく、生粋の香川弁に接する機会も減ってきた。しかし身に沁みついた言葉はいつまでも忘れない。大好きな香川が懐かしくて仕方ない。年齢だろうか。

丸亀の名を冠する兵庫県発祥のうどん屋さん。ここへ行き店内に必ずある飯野山の写真を見ればけば少しだけ香川に帰った気がする。

尾道まで輪行し、しまなみ海道ランドナーで走った。その帰りに懐かしき中讃へ向かった。讃岐富士が「お帰り」と迎えてくれた。香川の全てが柔らかな浸透圧で自分を包み込むのを感じた。

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