日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

解体現場

静かな住宅地に住んでいる。しかし取り巻きの道路は狭く、軽自動車が行きかうのも難しい。言い換えれば古い住宅地とも言えた。そんな場所にここ一、二週間ずっと怒号が飛び交っている。怒号を受けている相手の声はほとんど聞こえずに、他人事ながら気になる。

古い住宅地の住人は、その多くがご高齢者だ。ご健在な方もいれば、そうでない方もいる。高齢者施設に入居され、あるいは逝去され、必ずしも係累を残しているわけでもないとすれば、残るものは空き家だけとなる。それもあり、住宅地の静けさは更に増すのだろう。

それらの家はやがて取り壊される。大きな敷地ならニ分割三分割され、そこに新たな家が建つ。子供が生まれて数年あたりの、若い家族が引っ越してくる。懐かしの通りはこうして再生されていく。自分の家もそんな敷地に立っている。もともとは大きな借地でそこに住んでいた独居のお婆さんが無くなり、大家が不動産屋に土地を売って出来た家だった。我が家は街の再生に、わずかに貢献したのだろう。

通り並びの家に足場が組まれシートが取り囲んだ。数か月前に奥様が無くなり80歳代と思える男性だけの住まいだったが、引っ越しトラックが入ってきた数日後には解体作業が始まった。

怒号はその現場からだった。しばらく続くのだろう。家屋は数日で解体され、今は土地を慣らしている。通りすがりに見ると、基本二名で作業をしていた。パワーショベルで家をつぶし、べニアの薄い板で周りを囲んだ四トン車に解体資材を載せていく。まさに荷物が山積みとなったトラックが数度行き来すると地ならしだった。

-なにやってんだよ、紐が先だろ
-よく考えろよ。手際悪すぎんだよ

そんな怒号だった。散歩の際に見ると、重機のオペレータが一方的に怒られていた。もう一人は浅黒くてがっちりした体躯の初老の男性だった。ものの言い方には容赦が無かった。それはやはり危険な作業で一つ手順を間違えれば怪我では済まない事態になるからだろう。彼の怒号は危険度の裏返しなのだ、と思う。

怒号ではないが、常に部下から問い詰められていた管理職時代の自分を思い出した。職位上、沢山の事を決めた。ロジックに裏付けられていなかった決定事項も多かった。そこをロジカルな部下は攻めた。公衆の前でだ。自分はやがて、呆気なく心を病み精神科のお世話になった。

言われ続ける重機のオペレータ氏はそんな怒号を軽く受け流して、注意された点だけは実行しているように思えた。しかしそれは外見だけで、見えない棘が沢山彼の心に刺さり、心と言う風船は満身創痍なのだろうと思う。人の怒りと言う感情は、たとえ認知症の患者にも通じるのだ。そしてそれは確実にその方をさいなむものだ。それほどに強い攻撃兵器なのだ。

言葉と目線でそんな攻撃を受け続けた自分は黙っていられなかった。何か言いたい、という気持ちが湧いてきた。しかし実際の現場に行くと、二人は必死だった。荒い言葉は命のやり取りに思えた。「何か?」と寄ってきた男性は柔らかな感じがありとてもあの怒号とは結び付かなかった。そんな彼らに、だらりと弛緩した色白の自分が何を話しかける事ができようか。空気が抜けたのは、自分の風船だった。心配は無用だった。

息のあっているのだろう二人により建物がすべて消えて掘り返しが進む土地。お陰でその向こうに富士山が見えた。かつてここに老夫婦が静かに住んでいたという事もいずれ風化して消えていくだろう。また一つ、街が新しくなっていくのだ。

大きな時間軸の中で、自分たちはその一部を借りているんだな、そんな風に思うのだった。

ここには静かな家が建っていた。奥様が先に亡くなり、旦那様は荷物をまとめて引っ越されていった。高齢者施設に行かれたのか、係累を頼ったのか。知る由もない。空いた土地からは富士山が見えた。解体作業員も家も住人も、そして自分もまた時間軸の上を間借りしているのだろう。

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