日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

あずさ二号

八時ちょうどの「あずさ二号」で歌の主人公は「貴方」と別れ信濃路へ旅立った訳だ。がこれには鉄道ファン的には齟齬がある。新宿から松本に行く下り列車は奇数番号であり、偶数番号は上り列車なのだから。しかし歌に載せた時の字数的には二号でないとピンとこなかったのだろう、そう思っている。

さて自分は「あずさ」に乗ってきたわけではないが新宿から西へ160キロの街に居る。この高原へ来たのは車だった。そして翌朝には家財道具一式を積み込んだトラックもこの地へ着いた。僕たち夫婦は四十年近く住み慣れた横浜を離れた。自分に至っては五十年住んでいた街だった、この場所は海抜九百メートルで南側を見れば目の前には南アルプス北部の俊英、甲斐駒ケ岳がデンと聳えている、それどころか日本第二の高峰・北岳の頂上が見える。甲斐駒、北岳鳳凰三山が山岳金屏風を織りなしている。そして北には八ケ岳が並ぶ。そんな既知の懐かしい山々に加え勿論富士山も見える。糸電話があれば充分会話が出来そうに思う。

登山が好きな自分はずっとこの地に縁があった。これらの山に登るならこの地を通るのだった。そしてまたいつか当地に友人が出来ていた。脳腫瘍で手術を受け、原発となった悪性リンパ腫の治療を続けながら僕は、病が癒えたらこの地へ移住しよう、と決めてしまった。ガンは細胞の異常分裂であるがそれは自己免疫の低下から来るのではないか。するとそれはストレス起因ではないか。ならばそれを取り除けばよい。

それは闇夜に射した一点の光に思えた。横浜にせよ東京にせよ余りに人が多かった。かの地の生活は自分にはいつかストレスだった。港の船の汽笛が聞える横浜はとても好きな街だ。愛着もある。自分の一部でもある。しかし満員バス・電車、麻痺した交通、長いレジ待ちの行列。たまの休日に郊外へ出かけても渋滞ばかり。県外脱出に五時間・・。

もうそんな街は自分には必要なかった。子供達も巣立ち自分たち二人と犬一匹となった。通いなれたこの地で土地を求め小さな家を建てた。家の建つ前に何度もそこでテントを張ってみた。妻と僕、そして犬はシュラフの中で目を覚ます。ウグイスが鳴いたのだ。敷地には鹿の糞がある。目の前には旧知の山々が並ぶ。星空はプラネタリウムが如しで無数の星に自分は吸い込まれそうになる。

ここで暮らせば健康年齢を楽しめよう。では耄碌して動けなくなったらどうする?そこまでは考えない。それ以前に先に他の要因で世を去ることもあるだろう。僕たちはここで「野の人」になろうと決めた。それぞれに不安がある。自分はガンの再発が。家内も予期せぬ病があるかもしれぬ。しかし僕はそこまでを考えるのをやめた。この十年いや五年間が満足のいくものであれば、それで終止符を打っても構わぬと思うのだった。

病床で思った。土地を買ったとして家を建てるにせよ、せめて地鎮祭は終えたいと。いや、家に一晩でも住めれば思い残すことはないと。そう思ってから土地を探し、家のデザインを固めた。それは自分の病の中で「生への執着」となった。建築に至るまでに時間がかかった。世間はコロナ下で自分はまだ病持ちだった。

一晩でも住めれば良い、と思ったが今日で木の香漂うこの家はすでに三晩目だった。想定を超えた。するともしかしたら十年過ぎるかもしれぬ。そんな事を思っている。

特急あずさはこの街の駅に停まる。東京からの旅人がこのリゾート地にやってくる。そして自分も時々東京や横浜に出るだろう。それが気楽にできる場所でもある。

住み始める前にすでに何度も通いこの地は知悉していた。海抜九百メートルの地で何が起こるかもわからない。しかし賽は投げられた。僕たちはゆっくりと暮らすだろう。

すべてはまだ、始まったばかりなのだ。

我が家のベランダから甲斐駒、北岳鳳凰を眺める。これに富士と八ケ岳を加えると日本百名山のうち五山が自宅から見える。僕はこれら旧知の山を毎日見て暮らす。横浜の家からの百名山展望は丹沢と富士山だった。丹沢と別れるのは寂しかったが、求めるものは変わっていくのだと心の整理を付けた。