日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

口の匂いを嗅ぐ医師・福之記14

あんたの口はひどく臭いぜ

映画「ダーティハリー」でクリント・イーストウッド演ずるハリー・キャラハン刑事は身勝手な上司にこう言いのける。

余りに強烈なセリフなので子供ながらに覚えてしまった。権力を笠に着て無理な捜査を強いる上司に対しての言葉は、ある意味相手の人格の全否定に思えた。口臭とはかくも大切なのか。そうその時思った。

口腔状態は良好でも胃などの消化器官の具合が悪ければ口は臭う。またタバコやコーヒーの常習者も独特の、避けられぬ不快な口臭がある。タバコは一切口にしたこともないがコーヒーは飲む自分とて、匂いはあるのか。そもそも歯磨きも乱雑だから気づかぬものでも自分も人を不快にさせていたかもしれぬ。

我が家に来た保護犬は福太郎と名付けられ飼い主の自分達に毎日福をもたらしてくれる。犬の飼い主は誰もがこう思っているだろう。「うちのコは、なんと可愛いのか。世界一だ」、と。犬は迎えられた日から主人の飼い主のベッドに入る。顔を舐められると大変うれしい。頬づりや鼻を突き合わせるといったスキンシップも当たり前だ。肉球の匂いが好きだ。またやや酸っぱい耳の穴も臭うに値する。溺愛を越えた行為かもしれぬがこれには意味がある。そうやって色々触り匂う事で犬の健康状態が分かる。様な気がする。少なくともこれまでと違うなとは気づく。

保護犬で我が家にやってきた福太郎はやや口臭がきつかった。口腔状態が悪いのだな。ブリーダー施設で5年間過ごしていたのだからさもありなんだ。尤も我が家に来た時は上顎前歯が抜けていた。いや、抜歯したのだろう。ブリーダーからまずはボランティアの保護団体に彼は引き取られた。そこでの二カ月の間に健康診断、去勢、抜歯と過ごしたのだろう。ご苦労がしのばれた。しかしブリーダー施設時代が長かったのか。確かに種犬に歯磨きなど無関係だろうから。

そこからは自分が歯磨き担当となった。出来れば毎日すべきだが手を抜くこともある。反省だ。彼は歯磨きをのけぞらんばかりに嫌がる。彼の前に飼っていた犬も嫌がっていたが無理矢理に歯磨きをした。彼は天国に旅立つまでに口腔状態が悪いと医師に言われたことはなかった。酷い子もいるそうだ。

福太郎の嫌がり方は半端なかった。歯ブラシは諦めてブラシのついた指サックにした。さすがに飼い主の指を噛むのは抵抗があるのか、逃げ回るがなんとか磨ける。

この地に引っ越して始めてかかった獣医さんは友人の紹介だった。友の家にも犬がいたがいつもそこでお世話になったという。「頭の先から尻尾の先まで診てくれますよ」との言葉が決め手だった。丁寧に問診をしていただいた。最後に気になる口臭について聞いてみた。するとドクターは彼を抱き上げ頭を口に近づけた。福太郎の口の匂いを嗅ぐのだった。特に臭くありません。健康ですよ。と言われた。僕は家内と共に唖然とした。いくら診察対象といえ口の中に我が鼻を近づける医師はいるのだろうか?強烈な印象だった。ドクターは続けた。歯垢の溜まりやすい箇所をそこの磨き方を教えて下さった。わかりやすかった。

患者から見て信頼できる医師とは何だろう。この地に引っ越す前にかかっていた動物病院は二軒あった。一軒はわかりやすい説明をしてくれるドクターだった。やや早口だが不明点は絵に描いて丁寧に説明してくれた。良い病院だったが治療費はやや高く、また支払いは現金だけだった。もう一軒は若いドクターが数人入れ代わり立ち代わりの診察だった。先の病院が定休日だったので代りに行ったのだった。自分はとうとうそのドクターの誰一人の顔も覚えなかった。診療費は少し安くしかし支払いはカードもバーコードリーダ決済も出来た。

口に首を突っ込んで一生懸命匂いを嗅いでくれた医師には驚いた。しかし二人とも「良い病院にかかれて良かったね」と話した。とても寄り添って丁寧だった。なにより非常に時間をかけて犬の体を触るのだった。そう言われてみれば、福太郎の口臭は今は気にならないのだった。支払いは現金だけだったが、それも気にならなかった。

クリント・イーストウッドがもしここに居ても、このセリフは吐かないだろう。自分がしっかり歯の面倒を見るのだから。

ドクターは彼の口を開き匂いを嗅いだ。そんな医師は初めて見たが感銘を受けた。彼も嬉しかった事だろう。