日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

た・ね・い・ぬ

フゴゴゴ…。ふと目が覚める。妻のいびきかと思う。そうかも知れない。少し眺める。するとウガガガと聞こえた。横たわったお腹が大きく膨らんだ。息を吸ったのだろう。・・なぁるほどそうか。夢でも見ているのか。どんな夢なのだろう。そう、半年か。そんなに経つのか。

最近顔つきが変わったね、と妻は言う。それは僕も感じていた。柔和と言うか安堵というか。安心が落ち着きさを呼んだのだろうか。

犬の一年は人間の六年とも七年とも聞く。すると半年では約三年か。彼にとりその三年間は大きな変化だったのだろう。もう昔のことは忘れたのか。

彼が生まれて五年間過ごしたのはブリーダーの施設だった。運営者が高齢となり犬を手放した。それをボランティア団体が引き受ける。そして里親募集の集いで我が家と縁ができ家にやってきた。ブリーダー施設がどんなところかは見たこともない。そこで彼がどのような扱いを受けていたのかもわからない。名前があったのか数字で呼ばれていたのか、おい、こら、だったのかも知る由もない。

産めよ増やせよ、は国力増強に向けた戦時中のスローガンだが、コロナのあおりで誰もが在宅勤務となりベット需要は高まった。丁度そんな頃に彼は三歳か四歳だったことになる。人間で言えば青年期の後半か。二十四時間戦えますか?というテレビCMがあったが、まさにその通り子作りにフル稼働を強いられ疲れていたのか。強いる人間が怖いのか、彼を我が屋に迎い入れたときは忘れられない。不安そうで尻尾を巻いていた。初めて彼を抱いた時余りの軽さに驚いた。空気を抱っこしたのかと思った。骨が直接指先に在った。弱々しく腎虚でなかろうかとも案じた。体重は4.6キロだった。施設から引き取られ数ヶ月生活をともにしてくれた預かりボランティアさんのもとを離れるのは、さらに不安そうだった。

引越した高原で新しい獣医にかかった。狂犬病の予防接種だった。今の体重は6.4キロ。半年で1.5倍近くになった。この体重で大丈夫です、と医師のお墨付きも得た。気になっていた分離不安症もやがて静まった。車の中に三分でも一人でいたら彼は吠えまくっていた。家の中で三十分大人しくいる事も出来なかった。ずっと吠え続け不安からか失禁し、あげく家じゅうが荒らされていた。今はもうそんな事はない。

医師は丁寧に全身を診てくれた。角膜ジストロフィーは現状では気にする事もないこと、外耳炎は治まっているという。診察台の上で目や耳を覗かれるとき、彼は僕の腕に必死にしがみついた。爪痕が残った。しかしその小さな痛みは何故か自分に歓びをもたらすのだった。

診察の前に一通りカルテに目を通し直した医師は言うのだった。「種犬だったのですか」と。た・ね・イ・ヌ! その通りだった。しかし彼のいびきと腕にしがみつく力は僕に確信をくれた。彼は今は「家犬」、い・え・イ・ヌであると。

福来たれと、彼には福太郎と名づけたのだ。ベッドの上で彼は相変わらず寝息を立てている。狂犬病の予防接種は彼にはきついものだったのだろう。フクちゃん好きなだけ寝なよ、ここは安住の地だから。また毛をカットしてあげるよ。そして風呂に一緒に入ろうな、そう福太郎に話しかける。

ここでもいびきが聞えるな。冷えたアスファルトは彼には心地よい。家犬だから飼い主は傍にいるよ。安心するが良いね。