日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

鯵の開き

宅急便が届いた。思ったよりも重く、手にした箱は冷えていた。あ、クール宅急便か。

学生時代、自分は容姿が劣る事を十分認識していた。それが僕を引っ込み思案にしていた。特に女性はやたらに眩しく見えた。お洒落な学校だった。もう誰もが制服姿の女子高生ではなく大人の女性だった。アクセサリーや香水の香りが更に僕を緊張させた。自分は全く委縮した肉の塊だった。彼女達が近くを通り過ぎただけで下腹部に熱いものを感じた。頑張って話しかける。自分でもわかるほどに顔が赤くなっていた。いくつもの憧れが風船のように大きく膨らんで来たが、途中で萎むか、手を離れて飛んでいってしまった。…本当はもう少し前向きなはずなのにな、という葛藤もあった。溜まったエネルギーはどこに消えていたのだろう。

友と過ごすことが楽しかった。互いのアパートの小部屋に転がり込んでは好みの女性や好きな音楽の話しばかりだった。類は友を呼ぶ。冴えない男たちでもさらに色々だった。風貌もよいのに純心すぎる男、殻を破ろうと無駄な努力ばかりする男、格好良く見栄を張っていたが実は何処かに脆さを抱えている男。内向性が先鋭化して女性を否定していた男…。女性のために男の脳細胞は酸素を消費し心臓が動く。女性の存在が故に男は生きている。女性と付き合えぬ男は存在価値もない、去勢でもするがよい。そんな三段論法。自分もある意味、尖っていた。その刃先の向きは自分だった。

学生生活も終わる頃に、男同士でスキーに出かけた。そこで女性二人組と部屋が隣り合わせになった。年上の看護師さんだった。一人だと何も出来ぬがこちらは四人だった。いつか一緒に滑り夜は彼女たちも交えて狭い部屋で笑い合った。なぜスムースに事が進んだのだろう。その時の四人組の息があっていたと思う。内輪だけなら話好きな醜男、純情すぎる男、軽妙で空気が読める男、大きく構えて包容力のある男。そんな仲間たちの中ならば醜男も本領を発揮できた。

今も付き合いのある仲間たちだった。包容力のある男は歳上で頼りがいがあった。彼はあるサークルの部長をしていた。温厚な顔をして実はサークルの女子数人と上手くやっていたと言う。お前は善良そうだが全くの悪者だな、と笑い合った。

卒業後のそれぞれの道など書くこともできない。四十年とはかくも長い。早期退職に加え病に倒れた自分は社会からの離脱第一号だった。

善人な悪者、そう呼ばれていた彼はいつからか釣りに凝っていた。おお、今度は魚か。奴らしいなと笑みが出る。そんな彼からメールが来た。横浜の沖で鯵を釣ったから送るよ、と。小ぶりな鯵が一把はあった。どれも丁寧に開かれていた。彼らしいな、と奴の笑顔を思い出した。

彼は近く我が家に遊びに来ることになった。引っ越したというがどんなところに居るのだろう?そんなところだと思う。何をして過ごそうか?そう考えるのもとても楽しい。

さてその後の話をしなくてはいけまい。看護師さんのうち一人、銀歯ちゃんと名付けていた大人しそうな女性がその後電話をくれた。笑うと銀歯が魅力的だった。僕は何を話したのかも覚えていない。ドキドキして曖昧にして切ってしまったのだろう。その後、電話もない。なぜ自分などに?と、訝しかった。とても申し訳ないことをしたと思う。あの時違う話ができたらまた僕の歩む道は変わっていたかもしれなかった。

今夜は鯵を焼こう。そして奴が来るのを楽しみにしよう。その日は雨の予報が出ている。酒蔵の見学に行けば?と妻は言う。なるほど、奴なら嬉しそうに沢山呑むだろう。

アジが一番おいしいのは春から初夏にかけてという。すると友は旬に釣ってくれたのだ。東京湾は横浜沖のアジか…。ありがたく戴きます。善人なる悪者が釣った魚だからね。