日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅40 マイ・ブラームス

●マイ・ブラームス 舟木元 文芸社2006年

この1600字の文章の題を考える時に僕にはこう浮かんだ。「美男子なのに得をしない」と。普通に考えるとハンサムは得をする。醜男は眉目秀麗な男子を見てため息をつくだろう。羨ましい、と。ではその得とは一体何だろう。

図書館で借りてきた本の表紙を見て妻は言うのだった。「あら、イケメンね」と。成程、それは僕も否定しない。愁いを帯びたナイーブな青年に見える。彼の肖像画は多いが、たいていは髭もじゃの不愛想な初老から老人の物が多いだろう。有名なイラストには後ろ手を組んだ髭を生やした小太りな初老の男性がネズミを連れて散歩する、そんなシルエット風のものもある。ネズミはきっと彼の愛したウィーンのレストラン「赤いはりネズミ」から来たのだろうと勝手に思う。

イケメンなら女性の引く手数多だったはずだ。が、なぜ彼は美男子から気難しそうで不愛想な人間になったのだろう。得を得ず、損をしたは何故だろう?そう思う。しかし十八歳で彼を知って以来、彼の内省的で耽美的な面に僕は惹かれている。「ほの暗く燃える情熱」という言葉が似合いそうに思う。フランソワーズ・サガンが何故自著に「ブラームスはお好き」と名付けたのかもあのアンニュイで情熱的な本の内容からして頷ける。

彼の事を語るには「恩師の奥様を愛してしまった」というタブーに触れなくてはいけない。人を傷つけない限り、自分の中の道徳に背かない限り、恋愛には禁忌がないだろう。いや、当事者はそこまで考えられないほど夢中になる。それが恋愛ではないか。そのせいかは解からぬがその恩師は精神を病み川に投身自殺を図る。助けられ近郊の精神科療養施設に入り、数年で世を去った。「私は知っている・・」と言葉を残して。

この言葉の解釈には諸説あるがやはり夫人とこの美青年の事を揶揄していると理解するのが自然だろう。彼は未亡人となった彼女を生涯愛し続けた。しかし求愛も結婚もしていない。これがこの美青年を生涯独身のままとし、それが彼の顔の深い皺になり、髭になり、不愛想なで不機嫌な顔立ちにしたのかも、わからない。

青年時代に彼の音楽にのめり込んだ。自分は引っ込み思案で醜い肥満体だった。だからこそ彼の「苦しみから立ち上がり勝利の凱歌を唄う」。そんな重厚な交響曲や、浪漫に沈むピアノや室内楽に惹かれた。憧れの女性に近づけない。彼の暗い情熱は自分のそれと重なった。音楽と自分は全く同化していた。

普仏戦争での自国の勝利を喜び愛国心で合唱を入れ祖国を祝う曲を作った。また聖書から語句を選びオーケストラと合唱による鎮魂歌を作り上げた。更にメランコリックな民謡をも旋律に入れ管弦音楽も作った。僕はそれらに耽溺した。

この書は自称「ブラーマネン」の読者が、愛するブラームスの生涯や音楽について考察しそして自身の北ドイツ音楽旅行を記したものだった。北ドイツはハンブルグブラームスの生地でもある。ブラーマネンとは初めて聞いた単語だった。モーツァルト好きはモーツァルトティアン、ワグナー好きはワグネリアンと呼ぶらしい。バッハとブルックナーのファンはどう呼ぶのか興味があるが、少なくとも自分もわずかながらもブラーマネンでありモーツァルティアンだろう。

かりそめのブラーマネンの自分でも、今では損・得で人の世を語る無意味さを知っている。青年ブラームスは美男子だった。純愛を大切にした。そしてなによりも後世に残る楽曲を多くを残した。また恩師であり彼を世に送り出したシューマンも好きな作曲家だ。その妻であるクララも肖像画で見る限り美しい。「私は知っている」とは何だったのかは知る由もない。今はただ彼らの作品を聞くだけだ。彼らの音楽が今の世にも残ることは人類にとっては得な話だろう。

顔など生まれつきでどうしようもない。しかし表情は後天的なものだ。ブラーマネンではあるが僕はブラームスの様に気難しい顔はしたくない。しかし短気で自己中心的な自分は放っておくとそうなる。笑顔が人の印象に残るように過ごしたい。得の音楽を聴いて。

確かにイケメンに思う。彼の後年の苦渋に満ちた顔は何処から来たのか。彼は信念を貫いた。それが辛かったのだろうか。しかし素晴らしい音楽を残した。それで充分だと思う。