中国地方のある街から新幹線に乗った。夏の西日が遠慮なくホームに差し込んで目がくらみそうだった。ホームに滑り込んだ車両の中は冷房が効いておりようやく一息ついた。少し遅れて大きな荷物を持った青年が乗ってきた。西洋人だった。彼は偶然にも自分の隣席だった。
コレイイデスカ と語りかけた、その理由は手にしていたお弁当を見て分かった。ここで食べていいか?という事だった。勿論だった。
旅は道連れ世は情け。古い価値観かもしれないがそんな時代の話を僕は大切だと思っている。袖振り合うも多生の縁、そんな風に言われるほど似たような言葉が多いのも、偶然と思える出会いにはある種の必然性がありそれは日本人が大切にしてきた価値観だ、ということかもしれなかった。折角だからと話しかけた。神戸のオーケストラで彼はコントラバスを弾いているという。広島には演奏会で来たという。大切な楽器は楽団のトラックに載せているという。
演目を聞くとブラームスの交響曲二番という事だった。
ポジティブで明るいエネルギーに溢れた曲だね。と言うと彼は目を見開いた。そこからは堰を切ったように話が進んだ。
-ブラームスの二番、僕はあの4thムーブメントがとても好きなんだ
-コントラバス奏者としてもあれは楽しい楽章なんです
‐リズム感に溢れコントラバスがしっかり低音を支えて細かく動くから、そうなんだろうね
‐何のきっかけでブラームス二番が好きなんですか?有名なのは一番ですね。
‐ジョージ・セルがクリーブラント管弦楽団を振ったCDを聞いてからあの曲の良さがわかったよ。
‐クリーブラント!マイホームタウン。あのオーケストラこそアメリカのナンバー1です。僕はオーディションを受けてあの楽団に入ることが夢なんです。
僕は彼の夢を聞いて応援したかった。と同時に貪欲だった。
‐ところで質問するけどさ、オーケストラのメンバーは指揮者の何処を見て曲に入るの?タクトの最下点?それともそのあと?
‐指揮者によるし、曲にもよります。そこは練習を経て分かるようになるしロストしたら最後はコンマスを見て演奏してます。
‐では指揮者はただのダンサー?
‐違います、テンポや曲層が変わる時は必ずそんなサインやモチベーションを示してくれます。それを見ています。
英語を話す現業から離れて5年以上経ったから僕は自身の英会話力の低下を謝った。実際しどろもどろの英語で、時々適切な単語も脳裏に浮かばなかった。代わりの平易な表現を探すのにも手間どった。しかし彼はこの四年間英語をここまで話したことがなかった。英語で話せてとても嬉しい。これで僕も英語を思い出したよ。と言われた。
そんな風に言ってくれるのは恐縮だったが同時に彼のこの四年間が結して平坦ではなかったことも想像がつくのだった。
彼はこれから大阪に出て明日シカゴ経由で故郷に帰るという。その町がオハイオのクリーブランドだった。日本の楽団に入り経験を積もうとしたらコロナで4年間帰国できなくなったという。ようやく仕事も一段落して、あす大阪からシカゴ経由でクリーブラントに帰るという事だった。
これで新幹線もオベントボックスともお別れです、と彼は少し寂しそうでもあった。
わずか二時間程度で新幹線は新大阪に着いた。彼は大きな荷物と共に降りていく。別れ際に握手をした。そして自身の名前のメルアドと電話だけ記した名刺を渡した。クリーブラントの一員になったら教えてね。来日したら聞きに行くよ。
ワカリマシタ。マタイツカアイマショウ。
そう言って彼は陽炎で揺れる新大阪駅で降りて行った。新幹線の扉が低かったのだろう、彼は少し猫背で降りた。
わずか二時間の友人だった。僕もまたいずこへか帰っていく。旅は道ずれだった。袖がすりあっただけだった。高架線を走る新幹線で、いつまでも残照に伸びるその影を見ていた。